トップページ原爆の絵紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」級友の慰霊碑
識別コード | SG-0483 |
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絵の内容 | 紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」級友の慰霊碑 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1946/2/頃 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | *別紙 4カ月ぶりに学校に行きました。担任の先生は「おう、お前は生きていたのか、よかった、よかった」と言って目に涙を浮かべていました。続いて「建物疎開作業に行った者はみんな死んでしまった」と言われ愕然としました。 翌年2月の寒い朝、担任の先生と生き残りの生徒10人位が慰霊碑を担いで作業現場に行き、慰霊碑を建てました。慰霊碑は倒れた校舎の柱を切って造りました。 学校から建物疎開作業現場まで1,500mをみんなは道具を持って歩きました。市内は見渡す限りの焼け野原、とても静かで人影もなく、動く物は市内電車だけでした。 もう戦争が終わったので、ゲートルは巻かないし軍隊式の行進はなく、小学校の遠足気分でした。作業現場では級友のボタンや弁当箱など遺品を拾い集めてご遺族へお渡ししました。 *別紙2 級友の慰霊碑。1)担任の先生 担任の先生は、前日学校内の当直のため本館の下敷きになり怪我をしましたが無事でした。受け持ちの先生が全員被爆死して、自分が生き残ったことを常に悔やんでおられました。2)亡き友よ どんなにか熱かったろう どんなにか痛かったろう どんなにか苦しかったろう と思いながら私は手を合わせています。 |
サイズ(cm) | 29.7×42 |
展示の説明文 |