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トップページ原爆の絵紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」地獄に仏

原爆の絵

識別コード SG-0481
絵の内容 紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」地獄に仏
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/15
情景場所 坂駅前
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 *別紙
8月15日朝、晴天で暑い一日が始まりました。なんとか歩けるようになったので親戚を訪ねて行くことにしました。いよいよ一人旅が始まりました。
収容所の受付に行くと村長さんが親切にしてくれました。罹災証明書の発行、火傷をした顔と手に真新しい包帯を巻き、杖を持たせてくれました。
国鉄呉線の坂駅前に着いた時、前方から(自宅の)近所のおばさんと娘さんがやってきました。私は被爆後初めて知った人と出会えて嬉しくなり、「おばさん、おばさん」と手を振りながら大声で叫びました。これが「地獄に仏」だと思いました。おばさんは近づきながら不審な顔をして「あんたは誰ね」と言いました。私が顔に包帯をして、汚れた姿で分からないでしょう。私が名前を言うとおばさんは「あんたの家族はみんな生きとるよ。学校のコンクリートの塀に書いてあったよ」と言いました。私は今までの不安がなくなりました。
汽車が来るまでお互いの被爆体験を簡単に話して、上りと下りの汽車で別れました。
坂駅から尾道駅まで2度乗り換えました。正午に糸崎駅に停車中プラットホームのスピーカーから玉音放送を聞きました。内容は理解できませんでしたが車内の乗客が騒ぎ出し「戦争に負けた」ことが分かりました。
顔の包帯は血膿が滲みだしウジ虫が這い出ていました。周りの人は私を避けるようにしていました。

*別紙2
1)可愛い「英雄ちゃん」 坂駅前で出会ったおばさんの末っ子の英雄ちゃんは、可愛い国民学校1年生。近所の子供は学童疎開に行って遊ぶ相手がいないので、私が遊び相手になっていました。私が学校から帰ると、いつも玄関の前で待っていました。本を読んでやり、自転車に乗せて練兵場で遊んでやりました。坂駅前で出会ったおばさんに「英雄ちゃんは」と一番に聞きました。するとおばさんは「その晩死んだんよ。最後まであんたの名前を呼んで、一回もおかあちゃんと言わんかったんよ」 私は悲しみのどん底に突き落とされた思いでした。 2)動員女学生 坂駅から呉線上りで呉駅に到着しました。初めての一人旅で不安な気持ちでした。すると動員女学生の駅員がやってきて、私を日影があるプラットホームの端へ連れて行きました。乗り換える汽車の時刻や場所を丁寧に説明してくれました。発車までの約1時間の間、被爆したときは、家族は、怪我の傷みはと聞きながら慰め、発車間際に沢山のお金を服のポケットに入れてくれました。金額は覚えていませんが、現在のお金で数千円だと思います。 3)初めて鏡を見た 呉駅までは、被災者に対して同情的ですが、それから遠くになるほど私を避ける態度でした。尾道港待合室のトイレで大きな鏡を見てビックリしました。頭は包帯を巻いて目と鼻と口だけ出し、その包帯は血膿で汚れ、ウジ虫が這っていました。服はうっすらと焼けて、汗と埃でボロボロ、その上悪臭が強く杖を持っている姿は誰もが私を避けている事が分かりました。
サイズ(cm) 29.7×42
展示の説明文 「少年・十三歳の原爆体験」
作/西岡誠吾(ニシオカ セイゴ)氏
8月15日朝、なんとか歩けるようになったので親戚を訪ねて行くことにしました。
坂駅前で、近所のおばさんと娘さんを見つけました。私は被爆後初めて知った人と出会えて嬉しくなり、「おばさん、おばさん」と手を振りながら大声で叫びました。私が名前を言うとおばさんは「あんたの家族はみんな生きとるよ。学校のコンクリートの塀に書いてあったよ」と言いました。私は今までの不安がなくなりました。
正午に、糸崎駅に停車中のプラットホームのスピーカーから玉音放送を聞きました。内容は理解できませんでしたが車内の乗客が騒ぎだし「戦争に負けた」ことが分かりました。
私の顔の包帯は血膿が滲みだし、ウジ虫が這い出ていました。周りの人は私を避けるようにしていました。

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