menu

トップページ原爆の絵紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」不安な気持ち

原爆の絵

識別コード SG-0480
絵の内容 紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」不安な気持ち
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 *別紙
三番目の収容所の坂村横浜国民学校へ船で移動する時、アメリカの艦載機「グラマン」の襲撃で至近距離の爆弾や機銃掃射を受け、生きた心地がしませんでした。
私の横にいた女学生が「火傷が治ったらアメリカをやっつけようね」と言いました。彼女は顔全体の火傷が酷く顔はバレーボールの様にふくれ、目は細くなっていました。当時は女学生と話をすることは禁じられていたので、私は「うん、うん」と言って顔をそむけました。

坂村は爆心地から10km近く離れているので、とても静かで広島市内の生き地獄が嘘のようでした。海辺の波の音が聞こえ、浜風が潮の香りを運んできました。ここでも被災者は毎朝見る度に人数が減っていました。
私は被爆後、殆ど熟睡していました。配給の「おむすび」を食べる時と「トイレ」に行く時だけ起きていました。
ある日、救護隊の数人の男性の話し声が聞こえてきました。「はあ、棺桶がないで、どうしょうかのう」「しょうがないよう、山にして油を掛けて焼こうやあ」「えっ」「広島の街じゃあ、みんなそうしよるんでえ」。私はこのまま逝ってしまったら誰にも看取られず、山にして焼かれるのかと思うと不安な気持ちになりました。
教室の床に寝ていると「ポロッ、ポロッ」と小さな音がします。私の顔に「ウジ虫」が沢山湧いていました。その「ウジ虫」が時々床に落ちていました。目と口は化膿して寝ている時に「かさぶた」になり目を開いたり口を開いた時は「かさぶた」がちぎれて血が出ていました。「おむすび」を食べる時は血膿や「うじむし」も一緒に口の中に入っていました。
被爆1週間後位から眠っている時間が短くなりました。天井を眺めながら家族や友達の安否が気になりだしました。
サイズ(cm) 29.7×42
展示の説明文 「少年・十三歳の原爆体験」
作/西岡誠吾(ニシオカ セイゴ)氏
私は被爆後、殆ど熟睡していました。ある日、救護隊の男性の話し声が聞こえてきました。「はあ、棺桶がないで、どうしょうかのう」「しょうがないよう、山にして油を掛けて焼こうやあ」「広島の街じゃあ、みんなそうしよるんでえ」。私はこのまま逝ってしまったら誰にも看取られず、山にして焼かれるのかと思うと不安な気持ちになりました。
教室の床に寝ていると「ポロッ、ポロッ」と小さな音がします。私の顔に「ウジ虫」が沢山湧いていました。その「ウジ虫」が時々床に落ちていました。目と口は、化膿して「かさぶた」になり、目を開いたり口を開けると、「かさぶた」がちぎれて血が出ていました。「おむすび」を食べる時は、血膿や「ウジ虫」も一緒に口の中に入っていました。
被爆1週間後位から眠っている時間が短くなりました。天井を眺めながら家族や友達の安否が気になりだしました。

戻る

Page Top