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トップページ原爆の絵紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」御幸橋西詰め

原爆の絵

識別コード SG-0476
絵の内容 紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」御幸橋西詰め
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6
情景場所 御幸橋西詰
情景場所旧町名 千田町三丁目
情景場所現町名 千田町三丁目
爆心地からの距離 2,270
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 *別紙
二人の上級生に助けられて御幸橋西詰めまでたどり着きました。そこには大勢の避難者がいました。やっとたどり着いて力尽きた人。市中心部から燃え盛る炎に怯える人。仲間に逢えて喜びあう人。火傷や怪我に苦しむ人など様々の避難者が集まっていました。
二人の上級生は「わしらは家にかえるけー、お前は一人で逃げろ」と言って走り去りました。あまりにも早く立ち去ったのでお礼をいうこともできませんでした。私は一人ぼっちになったので不安で堪りませんでした。近くに居たおじさんに「白島の家に帰るにはどうしたらいいですか」と聞きました。するとおじさんは「広島の街は火の海じゃけ、いかりゃあせんよう」と言いました。
派出所の陰から市内中心部を見ていたら、兵隊さんの服装をした人がカメラを持って避難者を撮影していました。その人の服には軍隊の階級章が付いていないので、私はとっさに「スパイ」だと思いました。周りの人も小さな声で「スパイだ、スパイだ」と言いました。左腕には何かを書いた腕章をつけていました。(この人は新聞社のカメラマンでした)

*別紙2
スパイ。当時は屋外の写真を撮影することは、敵国に情報が漏れる為禁じられていました。国民学校(現小学校)の図面の授業でも屋外の写生はなく、教室で兵隊の帽子など静物の写生をしていました。卒業アルバムは末尾に「陸軍運輸部・検閲済と日付」の捺印があります。隣組に協力的でない家は、いつも疑いの目で見られていました。洗濯物や布団の干し方や色で「敵の飛行機に情報を与えている」と言っていました。
サイズ(cm) 29.7×42
展示の説明文 「少年・十三歳の原爆体験」
作/西岡誠吾(ニシオカ セイゴ)氏
二人の上級生に助けられて御幸橋西詰めまでたどり着きました。そこには大勢の避難者がいました。やっとたどり着いて力尽きた人。市中心部から燃え盛る炎に怯える人。仲間に逢えて喜びあう人。火傷や怪我に苦しむ人など様々の避難者が集まっていました。
二人の上級生は「わしらは家にかえるけー、お前は一人で逃げろ」と言って走り去りました。一人ぼっちになった私は、近くに居たおじさんに、「白島の家に帰るにはどうしたらいいですか」と聞きました。するとおじさんは「広島の街は火の海じゃけ、いかりゃあせんよう」と言いました。

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