menu

トップページ原爆の絵紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」上級生に助けられて

原爆の絵

識別コード SG-0475
絵の内容 紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」上級生に助けられて
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6
情景場所 県立広島工業学校 校門前附近
情景場所旧町名 千田町三丁目
情景場所現町名 千田町三丁目
爆心地からの距離 2,000
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 *別紙
私は不安な気持ちで校門前の川土手に茫然と座っていました。すると前夜当直だった二人の上級生が「一緒に逃げよう」と言ってくれ、肩を借りて避難の群れに加わり、川土手の道を南の方に向かって歩きました。上級生とは年が1歳か2歳多いだけですが、なんだか頼りになる「兄貴」に思えました。
避難をする道の右側の川には満潮から引き潮に変わった時で、水は川幅一杯に流れていました。その川には力尽きた人が次から次と沢山流されていました。もう怪我人は死んだ人を見ても驚かなくなりました。みんな自分が助かることだけ考えて他人を助ける気力はありませんでした。
朝は雲一つない青空でしたが、避難する時の空は煙と粉塵が舞い上がりどんよりとした薄曇りでした。しかし西の空は真っ黒い雲が少しずつ広がっていました。気持ちの悪い黒い雲でした。それは「黒い雨」として放射能を帯びた雨でした。

*別紙2
1)防衛隊 空襲に備えて学校を守るため、数人の生徒が学校内に当直として詰めていました。2)親切なおじさん 川土手に座って、茫然と学校内の倒壊した校舎を見ていたら、見知らぬおじさんが私の左足先から血が流れているのを見て、靴とソックスを脱げと言いながら、土手のヨモギを摘みました。そのヨモギを両手で良く揉むようにと言って近くの家の2階へ土足のまま上がり押入れの布団カバーを切り裂き、走って私の所に来ました。私が揉んだヨモギを大きく開いた傷口に押し込み、布団カバーを切り裂いた布を包帯状にして撒き付け、また靴を当てて再度包帯を巻き付け「これで歩いて逃げられるぞ、頑張れ」と言ってどこかに走って行きました。先ほど2階へ入った家はおじさんの家だろうか、窓も襖もないので傾いた家の中は丸見えでした。その夜そっと包帯を外して傷口を見たら、出血は止まり傷口が白く口を開けていました。
サイズ(cm) 29.7×42
展示の説明文 「少年・十三歳の原爆体験」
作/西岡誠吾(ニシオカ セイゴ)氏
私は不安な気持ちで川土手に座っていました。すると、二人の上級生から「一緒に逃げよう」と声をかけられ、肩を借りて避難の群れに加わりました。川には、力尽きた人が次から次と沢山流されていました。もう、怪我人や死んだ人を見ても驚かなくなりました。みんな自分が助かることだけ考えて他人を助ける気力はありませんでした。
西の空は真っ黒い雲が少しずつ広がっていました。それは、放射能を帯びた「黒い雨」でした。

戻る

Page Top