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トップページ原爆の絵紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」登校時の姿

原爆の絵

識別コード SG-0466
絵の内容 紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」登校時の姿
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 *別紙
「あの日」被爆した日は、体調が悪いので建物疎開作業を休み学校内の作業に行きました。これがその時の姿です。
被爆当時の私は、身長149cm、体重42kgの小さな中学1年生でした。
頭は丸坊主。学校の制服の配給がないので入学時の冬服でした。ズボンは半ズボンだったので同じ色の布を縫い足しました。肩にはカバンと防空頭巾を掛けていました。ゲートルを巻いた小さな兵隊さんです。

*別紙2
空襲に備えて、家財を母の実家に疎開した時、お土産に「桃とびわ」を沢山貰って帰りました。食欲旺盛な私は食べ過ぎて体調を崩し2日間学校を休みました。「あの日」は建物疎開作業を休んで学校内の軽作業に行きました。物資が極度に不足しており、中学入学時に制服の配給がなかったので、国民学校(現小学校)卒業時の冬服を着ていました。真夏でも戦地で闘う兵士と同じ戦闘態勢の服装を強制されていました。結果的には体の火傷が免れました。半ズボンは同色布を継ぎ足して長ズボンにしました。ボタンは陶器製、靴は布製の運動靴です。空襲などの時、飛来物や落下物から頭部を保護するために頭にかぶった綿入れの頭巾。この防空頭巾は常に携帯していました。当時の中学生は市内の乗り物を利用することは禁じられていました。私は体調が悪いので乗車許可証貰い、警報が解除になったので、市内電車に乗って学校に行きました。歩いていれば爆心地の近くで被爆しました。
サイズ(cm) 29.7×42
展示の説明文 「少年・十三歳の原爆体験」
作/西岡誠吾(ニシオカ セイゴ)氏
「あの日」は、体調が悪かったため、建物疎開作業を休み、学校内の作業に行きました。これがその時の姿です。被爆当時の私は、身長149㎝、体重42㎏の小さな中学1年生でした。

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