トップページ原爆の絵広島赤十字病院入り口付近。傷ついた人たちが治療を受けるために待っていた。その中に、お腹に車掌カバンのようなものを身に着けた一人の女性が寝かされていた。自分たちが広島赤十字病院を出たときには、その女性はもういなかった。
識別コード | SG-0455 |
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絵の内容 | 広島赤十字病院入り口付近。傷ついた人たちが治療を受けるために待っていた。その中に、お腹に車掌カバンのようなものを身に着けた一人の女性が寝かされていた。自分たちが広島赤十字病院を出たときには、その女性はもういなかった。 |
作者名(カナ) | 新田 臺吉(ニッタ ダイキチ) |
作者名(英語) | NITTA Daikichi |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | 新田 臺吉 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/7 |
情景場所 | 広島赤十字病院入り口付近 |
情景場所旧町名 | 千田町一丁目 |
情景場所現町名 | 千田町一丁目 |
爆心地からの距離 | 1500 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | 絵中 日赤病院 1945年8月6日朝8時15分頃、地ひびきと共に大音響となり、眞黒な黒雲が上り、ときどき赤い■■が上がるのが見えた。8月7日(6日は外出できなかった)同僚と一緒に市内に入り、広島貯金局に同僚を捜す。2階に上がろうとしたが、階段が壊れており、隣の日赤病院にいって見る。入口に付近に一人の女性が寝■かされてお腹に車掌カバンらしき物を身につけていた。 その後、日赤を出る時はいなかったので、元気になり帰られたものと思う。その後、市役所で罹災証明を貰い相生橋を通って南観音に帰り寮で一夜をすごし翌日田舎に向う。 |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 | 息も絶え絶えに倒れていた女性は、いつの間にかどこかへ運ばれた 画/新田臺吉氏 1945年(昭和20年)8月7日 爆心地から約1500m 広島赤十字病院入り口付近 作者のことばから (同級生を捜しに行った)病院の門の入り口に、30歳くらいの女性が倒れていました。じっと見ていると、その女性は一度呼吸をした後、なかなか次の呼吸をしません。大丈夫かな、と不安に思っていると、やっと次の息を吸い込みました。…その後、どのくらいの時間がたったのかわかりませんが、病院を出る時には、その女性はいなくなっていました。一人で歩くことはできないはずです。当時、まだ息のある人も、死体を運ぶトラックに乗せられたという記述を何かで読んだ事があります。もしかすると、その女性もトラックで運ばれたのかも知れません。 |