トップページ原爆の絵兄を捜す、舟入の電車線路に並べられた負傷者
識別コード | SG-0448 |
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絵の内容 | 兄を捜す、舟入の電車線路に並べられた負傷者 |
作者名(カナ) | 横山 清(ヨコヤマ キヨシ) |
作者名(英語) | YOKOYAMA Kiyoshi |
当時の年齢 | 28歳 |
寄贈者名 | 小林 富美子 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/9 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | 舟入川口町、南観音町 |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵中 ドーム 郵便局があったと思ふ トラム 昭和二十年八月九日 橋 川 兄の捜査する 炎 金物店がありました 黄燐炎 炎 電柱 黄燐炎 電柱 電車路 手製のタンガ 水…水 負傷者 医者 生木の炎 舟入町川口 暑い暑い日であった 電車線路には手製のタンガで 負傷者が一列に置かれている 暑い太陽は照りつけている 水を求める人 叫ぶ人 五十余年過ぎた今も脳裏に残っている どうしてあげる事も出来ない 二度と此の様な事が有てはならない 江波町 昭和大橋 川 二十年八月九日 長崎原子爆弾投下聞く 私は南寮二人で知った (貞永) 小畠出身 南観音町 **手記 当時、広島に召集できていた兄の身を案じ、焦土と化した街を、川を探し回ったがみつけることが出来ませんでした。舟入の電車線路には、ずらりと負傷者が担架のまま、線路に横に並べられていました。腫れあがった人々のうめき声と、黒焦げになった死体は、今も私の脳裏から離れません。救護班であろう人が次々と応急手当をしていくが、力尽きて倒れてしまう人もいました。 |
サイズ(cm) | 21×29.6 |
展示の説明文 |