トップページ原爆の絵炎をかいくぐり、既に火のついたカバンをやっと一個だけ取り出すことが出来た。カバンの中には先祖の形見の書類が入っていた。一瞬にして燃えたはずの紙が、一緒に入っていた父の防弾チョッキに守られ無事だった。
識別コード | SG-0438 |
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絵の内容 | 炎をかいくぐり、既に火のついたカバンをやっと一個だけ取り出すことが出来た。カバンの中には先祖の形見の書類が入っていた。一瞬にして燃えたはずの紙が、一緒に入っていた父の防弾チョッキに守られ無事だった。 |
作者名(カナ) | 深町 陸夫(フカマチ リクオ) |
作者名(英語) | Rikuo Fukamachi |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | 深町 陸夫 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 牛田町 |
情景場所旧町名 | 牛田町 |
情景場所現町名 | 牛田南一丁目 |
爆心地からの距離 | 2200 |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | 近隣の家のすべてが粉塵を巻き上げ狂気のごとく燃え盛った。 私は、家の前の畑にわずかにほうり出した荷物までが火がついているのを土手の上から見て思わずとびだし、炎をかいくぐり、既に火のついたカバンをやっと一個だけ取り出すことが出来た。その中に、軍人だった父の防弾チョッキが入っていた。満州の撫順中学の軍事教官だった父が出征の時、生徒や先生達で集めてくれた5䬻硬貨が、ぎっしり縫い込まれたもので死線を越える[4銭を越える5銭の]意味がこめられたものである。 鞄の中は広島城主浅野家に仕えた以前からの先祖の形見の書物が入っていたが、一瞬にして燃えたはずの紙が、父の防弾チョッキで、先祖が残した形見が助かったのである。 |
サイズ(cm) | 29.7×42 |
展示の説明文 | 炎をかいくぐり、すでに火のついたカバンをやっと一個だけ取り出すことが出来た 画/深町陸夫氏 1945年(昭和20年)8月6日 爆心地から約2200m 牛田町(現在の牛田南一丁目) 作者のことばから 家の前の畑にわずかにほうり出した荷物まで火がついているのを見て思わず飛び出し、炎をかいくぐって、既に火のついたカバンをやっと一個だけ取り出すことが出来た。その中に父の防弾チョッキが入っていた。軍事教官だった父のため、生徒たちが、「死線を越える」の意味を込めて、五銭硬貨をぎっしりと縫い込んで作ってくれたものだった。カバンの中は、先祖の形見の書物が入っていたが、一瞬にして燃えたはずの紙が、この防弾チョッキにより助かったのである。 |