識別コード | SG-0436 |
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絵の内容 | 被爆した友は |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/9 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | 中島新町 |
情景場所現町名 | 中島町 |
爆心地からの距離 | 700 |
ブロック別 | 吉島・舟入・観音地区 |
作者による説明 | 「被爆した友は」 被爆3日後の8月9日。市内の火災がややおさまり、範重先生他数人の先生とご父兄は県工1年生が被爆した現地に初めて行きました。そこで目にしたものは、約50人の遺体が横たわっており非常に痛ましい光景でした。 早速名前の確認を始めました。熱線や爆風、真夏の炎天下で遺体の痛みが酷くて顔では判別が困難でした。上着の名札、ゲートルの名前、ポケット内の持ち物(定期乗車券、手帳、財布など)などで本人確認をしました。 私の思い 下手な絵で非常に恥ずかしいことですが。私は一生懸命描きました。描いていると被爆当時の生き地獄を思い出し、また亡き級友の顔が浮かんできました。描いていると急に背中が「ゾクゾク」と寒気がして暫く筆を置き、また気を取り直して描きはじめました。これを繰り返しました。私は生き残った負い目を感じながら亡き友の供養と思い、これからも御遺族に対してお役にたつことを続けます。 被爆70周年の節目の年に一番辛い絵を描きました。 建物疎開作業に従事した教職員及び生徒192名のご冥福をお祈りします。 |
サイズ(cm) | 38×54 |
展示の説明文 | 被爆した友は 画/西岡誠吾氏 1945年(昭和20年)8月9日 爆心地から約700m 中島新町(現在の中島町) 作者のことばから 数人の先生と御父兄は、県工1年生が被爆した現地に初めて行きました。そこで目にしたものは、約50人の遺体が横たわる非常に痛ましい光景でした。早速名前の確認を始めましたが、遺体の傷みは酷く顔では判断が困難でした。名札、ポケット内の持ち物などで本人を確認しました。 |