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トップページ原爆の絵グラマン(米軍戦闘機)飛来と太陽光発火

原爆の絵

識別コード SG-0427
絵の内容 グラマン(米軍戦闘機)飛来と太陽光発火
作者名(カナ) 尾崎 稔(オザキ ミノル)
作者名(英語) Minoru Ozaki
当時の年齢 13歳
寄贈者名 尾崎 稔
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6(時刻)8:15
情景場所 南大橋東詰、魚市場
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1,700
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 グラマン(米軍戦闘機)飛来と太陽光発火。被爆後グラマン2機が飛来、被害を恐れ川の中へ避難。飛行状況をみているとき、日差し(太陽光)が橋の欄干へ差し込むと、少ししてパッと火の手があがった。
太陽光 安芸の小富士 南大橋(木造)
被爆時13才(修道中学校2年)
2013年5月(H25) 尾崎稔 81才画

グラマン来るの絵に注釈を添付したい 尾崎稔
2014年(平成26年)2月下旬NHKで旧日本兵の戦時の体験談が放映されていた。一人の元航空兵だった人が原爆で被災した広島上空を東方面から九州に向かって戦闘機2機で飛行した事を話されていた。69年間アメリカのグラマン機と思っていた事が、日本の戦闘機だった誤りを初めて知った。
サイズ(cm) 38×27
展示の説明文 「グラマン飛来と太陽光発火」
作/尾崎稔[おざき みのる]
1945年8月6日 午前8時15分頃
爆心地から1,700m 南大橋東詰
<作者のことばから>
被爆後グラマン(米軍戦闘機)2機が飛来し、被害を恐れて川の中へ避難した。飛行状況をみているとき、日差し(太陽光)が橋の欄干へ差し込むと、少ししてパッと火の手があがった。
*作者によると、この戦闘機は、のちにグラマンではなく、日本側の戦闘機であったことが分かった。

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