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トップページ原爆の絵明治橋近くの階段で亡くなっていた子ども。どうすることもできず、ただ手を合わせることしかできなかった

原爆の絵

識別コード SG-0426
絵の内容 明治橋近くの階段で亡くなっていた子ども。どうすることもできず、ただ手を合わせることしかできなかった
作者名(カナ) 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ)
作者名(英語) Hiroyuki GOTO
当時の年齢 17歳
寄贈者名 五島 弘行
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/7
情景場所 明治橋付近
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1290
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 絵中
⑧1945.8.7 明治橋近くの階段。「大丈夫か」と肩に手を当てたら、前に倒れた。(既に死んでいた。手を合わすのみ) 2012.7.30 五島弘行

五島さんのお話から
当時17歳で、宇品町にあった広島逓信講習所の高等部の講習生だった。召集を受け、1945年(昭和20年)8月28日には比治山にあった陸軍通信部隊に少年通信兵として入隊することになっていた。担任教官に召集令状がきたことを報告するため、校舎2階の窓側で朝礼が終わるのを待っていた。そろそろ終わりそうなのでグランドに出て、教官に挨拶しようとしていたところ、友人が「落下傘のようなものが落ちてきている!」と叫んだ。咄嗟に北側の空に目を向けた瞬間、かつて感じたことのない轟音と光線、熱線が襲来した。咄嗟に目と耳を押さえて窪地にかがみこむ防空姿勢をとった。ちょうど建物の影になっていたため、幸いにもケガは負わなかった。翌8月7日、教官に帰郷の許可を貰い、郷里の山口へ向かった。途中、明治橋近くの階段では、小学校2,3年生くらいの子どもが座り込んでいた。「大丈夫か」と肩に手をかけると、その子はすでに亡くなっており、ばたっと前に倒れてしまった。どうすることも出来ず、元のようにその子を座らせてやり、手を合わせることしか出来なかった。
サイズ(cm) 25.5×18
展示の説明文 座ったまま亡くなっていた子ども
画/五島弘行氏
1945年(昭和20年)8月7日
爆心地から約1,290m 明治橋付近
作者のことばから
己斐駅へ向かう途中の明治橋付近で。階段付近に座り込んでいた小学校2.3年生の子どもの肩に、「大丈夫か?」と手をかけると、前にばたっと倒れてしまいました。すでに亡くなっていたその子をどうすることもできず、元のように座らせて、手を合わせることしかできませんでした。

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