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トップページ原爆の絵鷹野橋付近。水を求める人々。水を求められても、自身も水を持っておらず、どうすることもできなかった

原爆の絵

識別コード SG-0423
絵の内容 鷹野橋付近。水を求める人々。水を求められても、自身も水を持っておらず、どうすることもできなかった
作者名(カナ) 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ)
作者名(英語) Hiroyuki GOTO
当時の年齢 17歳
寄贈者名 五島 弘行
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/7
情景場所 鷹野橋
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1200
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 絵中
⑤1945.8.7 鷹の橋へ みんな「水!」が欲しい  2012.7.30 五島弘行


五島さんのお話から
当時17歳で、宇品町にあった広島逓信講習所の高等部の講習生だった。召集を受け、1945年(昭和20年)8月28日には比治山にあった陸軍通信部隊に少年通信兵として入隊することになっていた。担任教官に召集令状がきたことを報告するため、校舎2階の窓側で朝礼が終わるのを待っていた。そろそろ終わりそうなのでグランドに出て、教官に挨拶しようとしていたところ、友人が「落下傘のようなものが落ちてきている!」と叫んだ。咄嗟に北側の空に目を向けた瞬間、かつて感じたことのない轟音と光線、熱線が襲来した。咄嗟に目と耳を押さえて窪地にかがみこむ防空姿勢をとった。ちょうど建物の影になっていたため、幸いにもケガは負わなかった。翌8月7日、教官に帰郷の許可を貰い、郷里の山口へ向かった。途中、鷹野橋付近では、大けがを負った無数の被災者が、皆口々に「水が欲しい!!」と訴えていたが、自身も水を持っておらず、どうすることもできなかった。
サイズ(cm) 25.5×18
展示の説明文 水を求める人々
画/五島弘行氏
1945年(昭和20年)8月7日
爆心地から約1,200m 鷹野橋付近
作者のことばから
己斐駅へ向かう途中の鷹野橋付近で。大けがを負ったたくさんの被災者が、口々に「水が欲しい!!」と訴えていましたが、自身も水を持っておらず、どうすることもできませんでした。近くの防火水槽では、水を求めて数多くの人が亡くなっていました。

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