トップページ原爆の絵5分前までいた廊下で被爆していたら無事ではすまなかっただろう
識別コード | SG-0420 |
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絵の内容 | 5分前までいた廊下で被爆していたら無事ではすまなかっただろう |
作者名(カナ) | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) |
作者名(英語) | Hiroyuki GOTO |
当時の年齢 | 17歳 |
寄贈者名 | 五島 弘行 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)午前8時15分 |
情景場所 | 宇品町 広島逓信講習所 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 3100 |
ブロック別 | 皆実・宇品地区 |
作者による説明 | 絵中 ②1945(S20)8.6 [追想]「もしも私が被爆5分前にいた所にそのままいたとしたら窓ガラスの破片を全身にあびていただろう」 2012.7.30 五島弘行 五島さんのお話から 当時17歳で、宇品町にあった広島逓信講習所の高等部の講習生だった。召集を受け、1945年(昭和20年)8月28日には比治山にあった陸軍通信部隊に少年通信兵として入隊することになっていた。担任教官に召集令状がきたことを報告するため、校舎2階の窓側で朝礼が終わるのを待っていた。そろそろ終わりそうなのでグランドに出て、教官に挨拶しようとしていたところ、友人が「落下傘のようなものが落ちてきている!」と叫んだ。咄嗟に北側の空に目を向けた瞬間、かつて感じたことのない轟音と光線、熱線が襲来した。咄嗟に目と耳を押さえて窪地にかがみこむ防空姿勢をとった。ちょうど建物の影になっていたため、幸いにもケガは負わなかった。後から、5分前までいた校舎2階に行ってみると、爆風で窓ガラスはバラバラに飛び散っており、もしそこにいたときに被爆していたら、全身に窓ガラスの破片を浴び、無事ではすまなかっただろうと愕然とした。 |
サイズ(cm) | 25.5×18 |
展示の説明文 |