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トップページ原爆の絵山陽本線己斐駅 下関方面行 負傷者避難列車

原爆の絵

識別コード SG-0354
絵の内容 山陽本線己斐駅 下関方面行 負傷者避難列車
作者名(カナ) 神谷 一雄(コウヤ カズオ)
作者名(英語) Kazuo Koya
当時の年齢 20歳
寄贈者名 神谷 タマ子
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/11
情景場所 己斐駅
情景場所旧町名 己斐町
情景場所現町名 己斐本町
爆心地からの距離 2,500m
ブロック別 己斐・草津地区
作者による説明 (別紙1)山陽本線己斐駅(現西広島駅)下関方面行 負傷者避難列車
(別紙2)1945.8.11 己斐駅(現西広島駅)下りホーム。広島駅―己斐駅間、原爆の為不通、己斐駅折返し運転で機関車側、山口・下関方面行。駅には憲兵なども出ていて、私達も無許可で病院を逃れて来たので調べられ、争った。車両には、負傷し知人を頼って広島市内から逃れようとする者が沢山あり、ほとんどの人が負傷していたり、火傷のため白い薬を塗っている。包帯した人の何と多いことか。中には片足を無くし担架で痛そうに運ばれる人などもいて哀れ。肉親を捜し求めて会えずに引上げる人も多かろう。ホームには乗れずに次の汽車を待つ親子連れなど。ほとんどの人が荷物もなく、着のみ着のままの姿で、炎天下、発車をじっと待っていた。 1982.10.14 神谷一雄
サイズ(cm) 37.9×53.9
展示の説明文 包帯した人の何と多いことか
1945年(昭和20年)8月11日
神谷 一雄 (原爆投下時20歳、絵を描いた時57歳)
【作者のことばから】
車両には、負傷し知人を頼って広島市内から逃れようとする者がたくさんあり、ほとんどの人が負傷していたり、やけどのため白い薬を塗っている。包帯した人の何と多いことか。ほとんどの人が荷物もなく、着のみ着のままの姿で、炎天下、発車をじっと待っていた。

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