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トップページ原爆の絵江波町。海岸倉庫。死体置場。一列に並べた上に、更に私達は積み重ねていった。

原爆の絵

識別コード SG-0351
絵の内容 江波町。海岸倉庫。死体置場。一列に並べた上に、更に私達は積み重ねていった。
作者名(カナ) 神谷 一雄(コウヤ カズオ)
作者名(英語) Kazuo Koya
当時の年齢 20歳
寄贈者名 神谷 タマ子
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/8
情景場所 江波町
情景場所旧町名 江波町
情景場所現町名 江波二本松
爆心地からの距離 3,600m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 (別紙1)江波町。海岸倉庫。死体置場。一列に並べた上に、更に私達は積み重ねていった。
(別紙2)陸軍病院江波分院は爆心地から3キロメートル余りのところにあった。此の病院から約100メートル程の海岸倉庫は、軍の縄などの資材置場として使っていたと聞く大きな建物だ。ここに原爆で死んだ人を担架で運んで来て、遺体置場として使った。看護婦2人と傷病兵2人、担架1組の救護班の私達4人は8月6日から8月11日迄、熱い炎天下で肩の皮がむける程、死体運搬作業に従事させられた。最初は死体に軍人用の死体明細書のような赤枠の大きな荷札に看護婦が死亡年月日、場所、氏名、年齢、傷病部位などを分かるだけ記入していたが、その札も無くなった。運んで来た死体は、頭と頭の間隔を50センチメートル程に離して丁寧に並べて置いた。1列に並べ終わると、次の列を作った。2日目、3日目を過ぎる頃には死体の上に死体を重ねた。4日、5日目となると死体を担架に乗せる時、手足を4人で持って乗せるがまるで天ぷ羅油を塗ったようにずるずるで、とても持ち運びにくい。此の世でこれ程強いいやな臭いがあるだろうか。マスクをしてもたえられる死臭ではなかった。倉庫に並べ重ねた、かたく硬直した死体は何百体か、千体は越えるだろう。防空壕の中から毎夜死体置場を見るが、火の玉が飛んだり幽霊が出なかったのが不思議だった。 1982年(昭和57)年9月13日作成 神谷一雄
サイズ(cm) 37.9×53.9
展示の説明文

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