識別コード | SG-0330 |
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絵の内容 | 私の被爆状況 |
作者名(カナ) | 尾崎 稔(オザキ ミノル) |
作者名(英語) | Minoru Ozaki |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 尾崎 稔 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 南大橋東詰付近 |
情景場所旧町名 | 大手町九丁目 |
情景場所現町名 | 大手町五丁目 |
爆心地からの距離 | 1,700 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | 絵中「私の被爆状況(当時13才 尾崎稔) 警戒警報解除になったので、登校。鷹の橋の市の、公設魚市場の処に来た時、附近で『落下傘だ!!』と言う声を聞き、立ち止まって、左上空を見たが、何も見えなかった。その時、ピカッと光って、電気のスパーク、電光花火のような太い光線が降り注いできた。とっさに日頃訓練していたように路面に伏し、目と耳を塞いだ。但し、その時はすでに左顔面、背、左手一部等火傷していた。(当時原爆をピカ、ドンと言っていたが、私は”ドン”の記憶はない)」「登校中 校則白リボン、Yシャツ(白)、防空頭巾、地下足袋、ゲートル、教科書、ベントウ、名札」「雲一ツない日本晴『落下傘だ!!』」「(ピカッ!!)電光花火のような太い光線が降り注いだ。→静寂、暗闇。→スローモーション画像のように何か上から下へ降り降りている様子。」「被爆箇所。顔左半分火傷。この部分の肉がアゴまでズレ落ち後日ケロイド状になる。左手半分火傷。地下足袋のコハゼ部分火傷ケロイド状になる(両足)」「当時13才 H21年4月 77才書」 |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 | 私の被爆状況 作者/尾崎稔氏 1945年(昭和20年)8月6日 爆心地から約1,900m 南大橋東詰付近 作者のことばから:「ピカッと光って、電気のスパーク、電光花火のような太い光線が降り注いで来た。とっさに日頃訓練していたように路面に伏し、目と耳を塞いだ。但し、その時はすでに左顔面、背、左手一部等火傷していた」 |