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トップページ原爆の絵大けがを負った弟妹

原爆の絵

識別コード SG-0262
絵の内容 大けがを負った弟妹
作者名(カナ) 深田 ヨシ子(フカダ ヨシコ)
作者名(英語) Yoshiko Fukada
当時の年齢 15歳
寄贈者名
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6(時刻)被爆直後
情景場所 東蟹屋町の自宅
情景場所旧町名 東蟹屋町
情景場所現町名 曙町
爆心地からの距離
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 作者の説明(絵中)
妹六才。原爆が落とされた昭和20年8月6日8時15分、爆風でこんな丸のしるしが、直径2センチの穴があいている所です。こんなにひどいケガをしていても、泣声一つも出しませんでした。治療といっても赤チンを塗るだけで包帯も一巻きでした。今だったら大変だと思います。さいごまで治療しなかったので、今は傷あとが2ミリ肉がもり上がっています。
弟三才。此の弟は、顔左半分がえぐられていました。こめかみのところから骨が出ていて、その中が白く見えて脈打つように「ドクドク」と動いているのが見えていて血もたくさん出ていました。此の弟は、傷が治りきらないまま、栄養失調でもあり、9月29日に息を引き取りました。
サイズ(cm) 31×40.5
展示の説明文 大けがをした弟妹
画/深田ヨシ子氏
岩本(旧姓)ヨシ子さん(当時15歳)は、母のミサノさん、妹の明子さん(あきこ)、弟の年治さん(としはる)らとともに、爆心地から約2,700メートルの東蟹屋町の自宅で被爆。自宅は大破し、明子さんと年治さんは顔に大けがを負いました。早く治療を受けさせなければ弟たちが死んでしまうとヨシ子さんらは二人を抱きかかえて必死に近くの尾長国民学校へ向かい、その後、日本製鋼所で簡単な治療を受けることができましたが、年治さんは9月29日に亡くなりました。

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