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トップページ原爆の絵たくさんの遺体が重ね、焼かれた

原爆の絵

識別コード SG-0249
絵の内容 たくさんの遺体が重ね、焼かれた
作者名(カナ) 藤重 忠子(フジシゲ タダコ)
作者名(英語) Tadako Fujishige
当時の年齢 20歳
寄贈者名 藤重 忠子
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6(時刻)夜
情景場所 広島中央電話局西分局工事宿直室
情景場所旧町名 北榎町
情景場所現町名 西十日市町
爆心地からの距離
ブロック別 十日市・中広地区
作者による説明 **絵の中
八月六日夜、死体と怪我人一杯の工事宿直室で奇蹟的に元気な私は、団扇の手を機械的に動かし乍ら、人間の感覚は喪失していた。すっかり、あたりは闇となる。闇の中でゆらゆら青白いひのたまの動くのを目にする。死体を燒く黒い山の上 二十糎離れたところで
死体を重ねて、ガソリンをかけ燒いたという
メラ メラ メラ メラ
H17.5.29
**裏
8月6日 夜 
宿直室内からくらやみの街中
**実態調査
8月6日夜、闇・機械的にうちわを動かし、感覚麻痺状態の目に、あちら、こちらまんじゅう型の(死体を集めて燒く)表面20cmばかり離れた所に青白い燐(?)メラメラ・ゆらゆら消えたり、又動いたり、闇の中のその光をボーッとして眺めていた。これが火の魂か?
第2次挺身隊として警戒警報発令中、勤務先の西電話局に急いだ。間もなく空襲警報発令。窓々のシャッターをおろす。敵機らしく、向宇品の髙射砲の炸裂音が暫く続く。やがて空襲警報解除。呉方面へ退散の報。ホッとして50糎ばかりシャッターを上げ風を入れる。統計用紙に数字を書込んでいたが用紙1枚不足に気付き、背後の戸棚に向かって立上った。左に身を廻した瞬間、青白い閃光とブァッッ!という異様な音と同時に外れ飛んだシャッターの下敷となる。首が動いた生きている!渾身の力で重いシャッターから抜け出し、立上った。窓という窓は吹きとび、部屋の壁は何もない。足の下にすぐアスファルト道路が見える。三階から見渡す市中は火の海。八丁堀周辺の銀行・保険会社・福屋の各階の窓という窓から炎が噴き出ている。原爆ドームには手が届きそうだ。
ここまで書きましたが到底この紙面では足りませず、20年前に書道講習会があった時、求められて提出した手記がありましたので同封させて頂きます。描きました絵は強烈に腦裡に残っていたものを、生まれて始めて(古い画用紙が偶々見つかり)被爆60年の夏の或日、年令も年令だし孫に何か残しておきたいな、とふと思ったのです。思うことが思うように絵にならず、一気に描いてみて、あの時の一こま一場面を思い出し、涙となり、もう次を描く気になれずやめました。友人が見て、NHKで募集していたので是非にとすすめられ、恥づかしいから嫌だと随分ためらい乍ら、漸くの思いで持参いたしたものです。手記の順序にNoを入れました。
サイズ(cm) 23.6×33.1
展示の説明文

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