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トップページ原爆の絵まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。

原爆の絵

識別コード SG-0248
絵の内容 まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。
作者名(カナ) 藤重 忠子(フジシゲ タダコ)
作者名(英語) Tadako Fujishige
当時の年齢 20歳
寄贈者名 藤重 忠子
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6
情景場所 広島中央電話局西分局前
情景場所旧町名 北榎町
情景場所現町名 西十日市町
爆心地からの距離
ブロック別 十日市・中広地区
作者による説明 **絵の中
岡山から来た兵隊さんがそこここに燒死している人をトラックへポンポンと投げこみ去っていく。どこへ連れていくのか。白いシーツをかけておいた。時々ゴソッと動く女学生学徒。「まだ生きています」と兵隊さんの腕を強くひっぱったが、何も言わずトラックへ。すぐ、そのあと、“ひろこはいませんか!!”と母親が走りこんでこられた。生涯消えない私の心の傷。
**裏
8月6日 西分局前
**実態調査
進徳女学校の生徒さん達も白い鉢巻をして、勤労学徒として西分局に数人つとめていた。この学生(中島ひろ子さん)は上から落ちたコンクリートで頭を強打し倒れていたが、殆ど動かぬ。宿直室のシーツをかけていた。トラックへ投げこまれた直後髪をふり乱し「ひろこひろこはいませんか」お母さんに、言葉もなく、トラックの立去った方を指差した。そのまま立去られたお母さんに対し、生涯消えない心に十字架を負い今も苦しめられる。心臓が動悸を打ち始める。つらい。
第2次挺身隊として警戒警報発令中、勤務先の西電話局に急いだ。間もなく空襲警報発令。窓々のシャッターをおろす。敵機らしく、向宇品の髙射砲の炸裂音が暫く続く。やがて空襲警報解除。呉方面へ退散の報。ホッとして50糎ばかりシャッターを上げ風を入れる。統計用紙に数字を書込んでいたが用紙1枚不足に気付き、背後の戸棚に向かって立上った。左に身を廻した瞬間、青白い閃光とブァッッ!という異様な音と同時に外れ飛んだシャッターの下敷となる。首が動いた生きている!渾身の力で重いシャッターから抜け出し、立上った。窓という窓は吹きとび、部屋の壁は何もない。足の下にすぐアスファルト道路が見える。三階から見渡す市中は火の海。八丁堀周辺の銀行・保険会社・福屋の各階の窓という窓から炎が噴き出ている。原爆ドームには手が届きそうだ。
ここまで書きましたが到底この紙面では足りませず、20年前に書道講習会があった時、求められて提出した手記がありましたので同封させて頂きます。描きました絵は強烈に腦裡に残っていたものを、生まれて始めて(古い画用紙が偶々見つかり)被爆60年の夏の或日、年令も年令だし孫に何か残しておきたいな、とふと思ったのです。思うことが思うように絵にならず、一気に描いてみて、あの時の一こま一場面を思い出し、涙となり、もう次を描く気になれずやめました。友人が見て、NHKで募集していたので是非にとすすめられ、恥づかしいから嫌だと随分ためらい乍ら、漸くの思いで持参いたしたものです。手記の順序にNoを入れました。
サイズ(cm) 23.6×33.1
展示の説明文

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