トップページ原爆の絵胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略)
識別コード | SG-0245 |
---|---|
絵の内容 | 胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略) |
作者名(カナ) | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) |
作者名(英語) | Tadako Fujishige |
当時の年齢 | 20歳 |
寄贈者名 | 藤重 忠子 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 広島中央電話局西分局1階通路 |
情景場所旧町名 | 北榎町 |
情景場所現町名 | 西十日市町 |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | 十日市・中広地区 |
作者による説明 | **絵の中 北榎町の西分局だけ燒けなかった。周囲の人達は分局目ざしてかけこみ前庭砂利の上にバタッとたおれこみ、水・水・水・ そこへ自宅で休んでおられたか老婆の胸に天井の折れた桟が突立ち一米五十糎位の桟を両手で支えたまま通路へしゃがみこむ。そこへ夫の姿、「ありゃここにおったんか!!」『早う抜いてくれやっー』『よし!!』肩に足をかけ桟を力一杯引張るたび「ギャーッ・ギャーッ」あまりのむごさにそこにおられなかった。 **裏 8月6日 西分局1階通路 **実態調査 西分局は地下動力室は燃えたが、燒け残ったので、周囲の人達分局目ざして駆けこみ、前庭の砂利の上に倒れこみ水水水をくれえと、そこへ老婆の胸に折れた天井の桟(1m50㎝位)が突ささったのを両手で支えたまま、通路へ。そこへ夫の姿。「ありゃあ ここにおったんか」「早う早う抜いてくれやっ」「よしっ」夫は老婆の肩に足をかけ、桟を両手で引張るたび「ギャッー・ギャーッ」と、あまりのむごさに、いたたまれず、外へ出た。 第2次挺身隊として警戒警報発令中、勤務先の西電話局に急いだ。間もなく空襲警報発令。窓々のシャッターをおろす。敵機らしく、向宇品の髙射砲の炸裂音が暫く続く。やがて空襲警報解除。呉方面へ退散の報。ホッとして50糎ばかりシャッターを上げ風を入れる。統計用紙に数字を書込んでいたが用紙1枚不足に気付き、背後の戸棚に向かって立上った。左に身を廻した瞬間、青白い閃光とブァッッ!という異様な音と同時に外れ飛んだシャッターの下敷となる。首が動いた生きている!渾身の力で重いシャッターから抜け出し、立上った。窓という窓は吹きとび、部屋の壁は何もない。足の下にすぐアスファルト道路が見える。三階から見渡す市中は火の海。八丁堀周辺の銀行・保険会社・福屋の各階の窓という窓から炎が噴き出ている。原爆ドームには手が届きそうだ。 ここまで書きましたが到底この紙面では足りませず、20年前に書道講習会があった時、求められて提出した手記がありましたので同封させて頂きます。描きました絵は強烈に腦裡に残っていたものを、生まれて始めて(古い画用紙が偶々見つかり)被爆60年の夏の或日、年令も年令だし孫に何か残しておきたいな、とふと思ったのです。思うことが思うように絵にならず、一気に描いてみて、あの時の一こま一場面を思い出し、涙となり、もう次を描く気になれずやめました。友人が見て、NHKで募集していたので是非にとすすめられ、恥づかしいから嫌だと随分ためらい乍ら、漸くの思いで持参いたしたものです。手記の順序にNoを入れました。 |
サイズ(cm) | 23.6×33.1 |
展示の説明文 |