識別コード | SG-0227 |
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絵の内容 | 被爆した人々 |
作者名(カナ) | 恵下 計一郎(エゲ ケイイチロウ) |
作者名(英語) | Keiichiro Ege |
当時の年齢 | 29歳 |
寄贈者名 | 恵下 弘文 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
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情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | **別紙 当時、私の家は、小さな呉服店を経営していた父恵下計一郎、母とし子、私(当時3歳)、生まれて間もない妹と祖父母の6人で、玖波(現在大竹市)に住んでいた。父は自営業の傍ら、役場の手伝いをしていたと思う。 被爆当時の記憶はほとんどなく、父が残した体験記(被爆者の叫び 大竹市原爆被爆者協議会)と時々話してくれる体験談で知る限りである。特に原爆症に悩まされることはなかったと記憶している。父は、20年以上前から趣味で油絵を始め、亡くなる5~6年前まで風景画などを描いていた。私自身は父のアトリエを覗いたことはないが、30歳を越える私の息子が小学校時代に「おじいちゃんの部屋に怖い絵がある」と言ったことがあり、これが今回寄贈する絵だと思われる。父は、20年近くも以前からこの絵を描き続けていることとなり、遂には完成できなかった。 **裏 惠下 計一郎作 |
サイズ(cm) | 130×162 |
展示の説明文 |