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トップページ原爆の絵倒れた人々。鬼

原爆の絵

識別コード SG-0215
絵の内容 倒れた人々。鬼
作者名(カナ) 横山 十三穂(ヨコヤマ トミホ)
作者名(英語) Tomiho Yokoyama
当時の年齢 17歳
寄贈者名 横山 春子
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **別紙
 私は原爆の當日広島に居ました。私の家は郊外にある可部と云ふ町です。廣島市内まで電車で約四十分はかかります。毎日広島市舟入南の共和精機有限会社へ施盤工として務めて居ました。(當時私は、十八才で廣島県立工業学校機械科二年です。私共の外に廣島県立第二中学校の生徒たちも居ました)昭和二十年八月六日朝六時半頃可部線の可部駅から電車に乘って横川駅に着きました。ちよど其の時、空しゅう警報のサイレンが鳴り、私逹は駅にて空しゅう警報が解除になるのを待ちました。約十分ぐらいでしよか、空襲警報が解除になり私達は横川から今度は市電に乘り舟入に着き会社に行きました。衣服を仕事着にしかへて八時迄一ぷく。八時のベルを合図とともに、仕事にかかります。皆んないっせいに自分の持場の機械につき、一生懸命に仕事をして居る。私も施盤で懸命にネジを切って居ました。ちようど仕事を初めて間もなく、空から七色の色をしたと云ふか赤靑黄紫といろんな色をした光線が空から降りそそぎ、口では云へなほどのものすごく暑さなので皆んなあれはなんだ何んた暑いと云って居たのもつかの間、ドカント一発。私逹は瞬間工場の建物の下敷となって居ました。私は其の間何をどうし、又どうなったかはわかりませんが、気がついた時、目をひらき、前を見ようとしたが、目の前は暗やみ、いや間黄といた感じでした。目の前が見へない私は目をやられたと思ひ、目をおさへ又目をふきながらしばらく横たはって居ました。どのくらい時間がたったか長い様でみじかい時間かも知れません。あっちからも、こっちからも助けてくれ助けてくれと云ふ悲鳴が聞へて来る。私もさけんだかも知れない。
ようやくあたりが明るくなって来ました物が見へる目の中に入った血又ゴミを服てふきなから、私は目は大丈夫だと思ふと梁や板などの間をくぐりぬけて屋根の上にはい上り、外に出て来ました。そして地上に下りて五六足歩いて気がついて見たら体中血もくれでした。右腕を見たら血が一本の糸の様にふき出て居るので左手でをさへて立って居ました。横山頭からも血がふき出して居るぞと誰かが頭へきれを、まきつけて呉れました。それから私は目がくらみ頭がもうろとして来るのを感じました。胸は苦しくもはや立っていられなかったので工場の前にある畠へやっとの思ひで行き着きました。それは工場から十米は有ったと思ひます。私は畠の中へ横になり意しきもうろとして、奈落の底へ落ちて行く様でした。それから意しき不明となり後の事はわからない。どのくらい時間が過ぎたのか私は担架で運ばれて江波の陸軍病院の病棟と病棟との通路へ担架の上に寢かされて居ました。後から、後から来る負傷者でその通路も一ぱいとなり足の入れ場もない有様です。暑い日光を受け皆んなうんうんと、うなり様に此の世の生き地獄の様でした。日暮になり私達負傷者は次ぎ次ぎと病室に運ばれ寢台番号及び住所氏名を書き取られ始めて寢台の上に寢る事が出来ました思へば永い永い一日でした。
サイズ(cm) 33×24.5
展示の説明文

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