識別コード | SG-0192 |
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絵の内容 | 8月8日 |
作者名(カナ) | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) |
作者名(英語) | Takato Mori、Hasue Mori |
当時の年齢 | 21歳、21歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/8(時刻)6:00頃 |
情景場所 | 東雲町猿猴川の土手 |
情景場所旧町名 | 東雲町 |
情景場所現町名 | 東雲二丁目 |
爆心地からの距離 | 3,600m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **別紙 【8月8日】 目が覚めるとへやの中には太陽の光がまぶしく射していました。起きようとするとめまいがします。熱が出ているようです。 ゆうべは学校や寄宿舎のまわりに避難して来た人々のかなしいさけび声を聞きながらきのうからの出来事を思い浮かべたり、これから日本はどうなるのだろうか、私たちはどうなるのだろうか、そんな不安に襲われてなかなか眠れませんでした。が、いつの間にかぐっすり眠ってしまったようです。 二階の窓越しに川岸を見ると、そこで夜を明かした人たちが大勢います。その中のひとりの男の人は拾い集めた木をうず高く積み上げたかと思うとそれに火を放ち、そばの死体をそのまま火の上に載せたではありませんか。あっ!私は目をそらしました。 (「ああ!あの日あの時」より) 私の証言(抄) 森 孝人(当時21才) 青白い閃光が眼前を走り、火炎がすさまじい勢いで上空をよぎるのがチラッと見えたとたん、バシッという音と共に二階建ての寮が激しく揺れました。廊下に身を伏せた私の目の前に窓ガラスの破片が降り注ぎ、どこかでドーンと鈍い音が轟きました。一トン爆弾だ!もはや防空壕に行く余裕はない。そう思って外に走り出るなり芋畑の畝の間に腹這いになってじっと次の瞬間を待っていました。 でも何事も起こりませんでした。急いで校舎玄関に行き広島上空を見ると、巨大な煙の塊が現われ、煙全体が無気味に大きな対流作用を起こしながらゆっくり上昇しています。そして、不思議にも煙とその煙の発生源と思われる市街地の間が透いて見えるのでした。 当時、本科生の大半は動員で呉工廠に行き、私は学校に残されて軍事教官の事務をしていました。その教官室も今や爆風で窓ガラスや書類等が飛散し見るかげもありません。 ガラスで負傷した同僚たちの手当てをしているところへ、通学生が腕にやけどしてたどり着きました。どうやらB二九が空中にガソリンを撒いて火をつけたらしいと言うのです。 その時の不吉な予感が的中したかのように予科寮倒壊の知らせが入り、直ちに私たちは炎天下皆実町に向かってひた走りました。 比治山南麓来てみると電信隊の兵舎は飴のように曲がり、ガスタンク付近は大火災です。紺碧の上空にきのこ状の大煙柱が聳えるその下で予科寮は無残に潰れていました。 鋸を手に這いながら入る寮の中はほの暗く、時折聞こえるうめき声をたよりにそれに近づこうとしても机イス、柱や梁の類が折り重なって道路を阻みました。流汗りんり、まさに蒸しぶろです。遠くで空襲警報と叫ぶ声がするがそれどころではありませんでした。 夕方、私は一たん東雲町の学校に帰り、予科生に数名の死者ある模様などと書き込んで被害報告書を作成、軍管区司令部に提出すべくたそがれ迫る的場に出ました。 そこで私は改めて事の重大さを知ったのです。全裸半裸の人々が至る所に倒れうずくまり、苦しみあえいでそれはさながら地獄絵でした。それに倒れかかった道端の家々から火の手が上がり行く手をさえぎりました。 やむなく比治山橋まで南下。でも同様でした。「水がほしい」「連れて行って!」口々に必死に訴えるがどうすることもできません。元気な自分が情けなくなりました。 橋を渡るとそこは見渡す限り焼け野原、夕陽の中に余燼の煙が立ちのぼっていました。その向こうから赤ん坊を背負い、幼い男の子を連れた母親がよろめきながら近づいてきました。裸の三人は全身が黒く焼けただれ、顔は目がつぶれるほど腫れています。母親の肩から胸にかけて剥げた皮膚がぼろ切れのように垂れ下がっていました。「水を飲ませて下さい。けさから飲んでいないのです。」細い声で呼びかけました。「やけどに水はいけませんよ。」と言うと、「お願いです。死んでもよいから飲ませて下さい。」母親は重ねて哀願しました。私は判断に苦しんだあげく意を決し、「それでは」と言ってとぼとぼ道を引き返しました。そして「ここに手押しポンプがありますよ。」心を鬼にして道端の井戸を指差したその時です。井戸のそばに倒れていた五十がらみの男の人が急に頭をもたげ、恐ろしい形相で絶叫しました。「やけどに水を飲むな。死ぬぞ!」その声は肺腑をえぐり、私は思わず目をそむけました。それは余りにもむごたらしい光景でありました。 その夜、広島師範のある田園地帯のここ東雲に人々は続々避難して来ました。肉親を探し求めてその名を呼ぶ声が交錯して夜のとばりを引き裂き、ある人は狂気のように号泣しある人はすすり泣きました。この世に終焉の時が迫る気配のする夜でありました。(以下省略) |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 |