トップページ原爆の絵太田川沿い北へ逃れる時に長寿園で見た午前9時半ごろ
識別コード | SG-0147 |
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絵の内容 | 太田川沿い北へ逃れる時に長寿園で見た午前9時半ごろ |
作者名(カナ) | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) |
作者名(英語) | Yoshio Hamada |
当時の年齢 | 26歳 |
寄贈者名 | 藤堂 清 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
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作者による説明 | **絵の中 私が被爆をして大田川ぞいに北えのがれる時に長寿園で見た午前9時半ごろです 合掌 川で流れているご遺体です 横川駅 寺町 相合橋 輜重隊作業場 三篠橋 大田川 多くの被爆者が流れていた 陸軍病院 陸軍火薬庫 陸軍需品倉庫 白島町 山陽本線 長寿園 燃える工兵隊 広島城のお堀 クスの大キナ木2本被爆直後もえた 爆風でクズレタコンクリーベイ ←逓信病院加藤中尉と私が 第三校舎兵士一中隊 幼年学校第一校舎司令部 ←被爆直後の私 広島城のお堀の中で多くの兵士が 中国新聞私の写真 赤穂師団司令部 私は司令部において重要な任務についていて被爆をして傷ついた私は正門の所で出血した 広島陸軍第二總軍・・・・本土決戦部隊・・・・陸軍幼年学校内赤穂部隊 赤穂師団司令部付・・・・浜田義雄・・・・昭和二十年八月六日早朝 広島市えアメリカは原子爆弾を打下した 師団長は河村参郎中将 本土決戦えのざんげ 私達赤穂部隊司令部は同年八月二十二日に長野県方面え行く予定であった 八月六・七日 尾長町旧陸軍東練兵場二葉山スソ 国前寺 浜田義雄 五十六才 |
サイズ(cm) | 66.5×136.5 |
展示の説明文 |