menu

トップページ原爆の絵国前寺本堂内の惨状

原爆の絵

識別コード SG-0144
絵の内容 国前寺本堂内の惨状
作者名(カナ) 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ)
作者名(英語) Yoshio Hamada
当時の年齢 26歳
寄贈者名 藤堂 清
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/7
情景場所 国前寺本堂内
情景場所旧町名 尾長町
情景場所現町名 山根町
爆心地からの距離 2,300m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
国前寺本堂内の惨状
爆心地より東方二・三キロの所
仏壇
水・水
水・・水
水を下さい
傷の手当をしてあげていた被爆軍人

被爆者をまたげて歩く被爆者

水・・水・・・・
おばあさん水を下さい
水を下さい

水・・・・水
重傷無言


手を上にのばして息絶えていた
廣島市えの原爆投下後の八月七日国前寺本堂内での悲惨当国前寺は廣島驛より北方五〇〇メートルの所にあり被爆重傷者達は燃えさかる火の中をくぐりやっとの思ひでこの寺にたどりつかれました。被爆の夜の苦しみの声は水水と当時の本堂内をどよめきこだましその惨たらしさは言ひようもありません。その被爆の夜は明けました。水・・・水と叫び乍らも水を求められずし息絶えておられたご慰体あまりにも残酷でした。七日私は当本堂内に横たえておりました。私が目撃を致しましたことを思ひ起こし絵画に書きました当本堂はまだ・・・まだ広く数多くの被爆重傷者が所せましと横絶えておられたのです。当寺本堂での被爆死者又重傷者の皆様は被爆後の八月八日までほうちされてあったのです。なを重傷を負った被爆軍人が多くそのほとんどの方は息絶えられておられました。
合掌
被爆者 浜田義雄
サイズ(cm) 49.7×37
展示の説明文

戻る

Page Top