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トップページ原爆の絵長寿園の惨状

原爆の絵

識別コード SG-0139
絵の内容 長寿園の惨状
作者名(カナ) 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ)
作者名(英語) Yoshio Hamada
当時の年齢 26歳
寄贈者名 藤堂 清
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6(時刻)朝
情景場所 太田川長寿園
情景場所旧町名 白島西中町~白島北町
情景場所現町名 西白島町~白島北町
爆心地からの距離 1,500m
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **絵の中
三篠橋
民家
タスケテ
台地
死ンデイタ
死ンデイタ兵隊さん
死の兵隊さん
上からテンラク
タスケテー
大田川
三十メートルの所山陽本線
昭和二十年八月六日朝
廣島に原子爆弾が投下され私重傷の身で長寿園に横たえて当地の悲惨を目撃しました。あまりにも残酷でした。川の中に入って助けを求める者、ガケの上からてんらくをして息絶えて居る者、水の中に伏せて死んでいる者、助けを求めて川へそして水を求めて川へこの被爆重傷者の皆さんはどれだけ助かっていられるでせうか助かってもおそろしい原爆病で苦しんでおられます。戦争はいやですけっして戦争をしてはいけません。そして原爆は絶対に許してわなりません。一人一人が原爆の恐ろしさと悲惨であることを知って原水爆は許せないと全世界に向けて叫び続けませう。原爆の犠牲となれて亡くなられた方々は戦争をにくみ原爆をにくんで死んでゆかれたのです。私は母を妹をそして近親者も被爆死しました。そして私も原爆病で床に付いて居ります。でも私は叫び伝え続けます。皆様と友に原爆は許せないと叫び続けませう。合掌
爆心地より一.五キロの所
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被爆者 浜田義雄
原爆記念館に展示して下さった絵
再画 「原爆の絵」HIROSHIMAに掲載の絵
サイズ(cm) 52.5×37
展示の説明文

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