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トップページ原爆の絵原爆投下直後の基町軍部と白島町の逓信病院付近の惨状

原爆の絵

識別コード SG-0134
絵の内容 原爆投下直後の基町軍部と白島町の逓信病院付近の惨状
作者名(カナ) 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ)
作者名(英語) Yoshio Hamada
当時の年齢 26歳
寄贈者名 藤堂 清
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6(時刻)9:00頃
情景場所 基町軍部と白島町の逓信病院付近
情景場所旧町名 基町
情景場所現町名 東白島町
爆心地からの距離 1,370m
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **絵の中
原爆投下直後の基町軍部と白島町の逓信病院付近の惨状(爆心地より北方1K前後)
人・・・・・・人 被爆重傷者の群はのがれ行く
二葉山へ
神田橋
民家
電車終点
逓信病院
白島線電車通り
八丁堀へ
民家
民家
レンガの倉庫
師団兵器倉庫
歩兵第十一聯隊
廣島城ノお堀
お堀
東門
衛兵所
煙突
陸軍幼年学校正門
司令部ノ防空壕
被爆時赤穂師団
第一校舎
サイドカー置場
第二校舎
第三校舎
医務室
炊事場
コンクリート壁
安田高等女学校
民家
三篠橋へ
崩れた家屋の塀にうもれておられこの付近では全く人のすがたは見られず
白島小学校
民家
昭和二十年八月六日廣島に原爆が投下された直後の午前九時頃西白島町安田高等女学校西方より目撃被爆と同じに火の手が上がったのは私が被爆をした旧陸軍幼年学校内の赤穂師団司令部炊事場煙突付近からでした。火はたちまちの内に白島町えと燃えうつり数多くの被爆重傷者のがれるすべもなく息絶えられました。特に白島逓信病院と白島電車通りには被爆重傷者があふれ神田橋をめざしてのがれておられました被爆者の皆様のご健在をお祈りします。
サイズ(cm) 38.5×41.8
展示の説明文

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