トップページ原爆の絵病院らしい崩れたガレキの中に赤ちゃんを抱いたまま死んだむごたらしい母親の遺体
識別コード | SG-0121 |
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絵の内容 | 病院らしい崩れたガレキの中に赤ちゃんを抱いたまま死んだむごたらしい母親の遺体 |
作者名(カナ) | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) |
作者名(英語) | Yoshio Hamada |
当時の年齢 | 26歳 |
寄贈者名 | 藤堂 清 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 基町の陸軍西部第二部隊 |
情景場所旧町名 | 基町 |
情景場所現町名 | 基町 |
爆心地からの距離 | 860m |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
作者による説明 | **絵の中 この場所は戦争中当時私は基町の陸軍西部第二部隊で勤務していて西部最大の陸軍基地廣島は増々戦争の度合いがはげしさを増して来た。すべての男女学生は軍にかり出され家の取りコワシ作業に女学生はモンペに防空ヅキン男はそれぞれ学校の服。現在の平和大通りです。昭和20年8月6日被爆。この絵はこの場所に病院らしいクズレタガレキの中にむごたらしいご遺体母親が・・・赤チャンをしかりとだいたまま死んでおられた。戦後広島の街ははなはだしくはってんした。でもこの街にはその悲しみは絶える事はない 合掌 許してはならない核戦争世界に平安と平和がもたらされることを |
サイズ(cm) | 36.4×25.7 |
展示の説明文 |