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トップページ原爆の絵傷ついた我が子を抱いた重傷の母親と重傷の兵隊

原爆の絵

識別コード SG-0119
絵の内容 傷ついた我が子を抱いた重傷の母親と重傷の兵隊
作者名(カナ) 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ)
作者名(英語) Yoshio Hamada
当時の年齢 26歳
寄贈者名 藤堂 清
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6(時刻)13:15頃
情景場所 牛田町より西方戸坂村に通じる土手
情景場所旧町名 牛田町
情景場所現町名 牛田新町
爆心地からの距離 2,000m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
重傷を負った兵隊さん
重傷を負ひ歩いていられたご婦人
←戸坂村へ
大田川→
右・原爆の絵は廣島に原子爆弾が投下されて五時間前後に爆心地より2キロの地点牛田町より西方戸坂村に通ずる土手にて目撃
母親は重傷を負ひ乍らも傷ついた我が子いだきかばい重い足を引きづりながら戸坂村の方に向っていられたことに私は只々痛切な思ひでした
せめて私が重傷を負っていなかったらお子さんをささえてあげることが出来たのに町は牛田町ですと答えられたこと今にして忘れ去れませんこの被爆し重傷を負っておられました母親・お子様は只今どの状態でご過しのことやら知るよしもございません
右原爆の絵は原爆記念館に展示をして戴きました
原爆の絵HIROSHIMAに掲載
□□□□□□□・被爆者 浜田義雄
複画
サイズ(cm) 51.5×38
展示の説明文

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