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トップページ原爆の絵原爆投下直後の紙屋町の惨状

原爆の絵

識別コード SG-0105
絵の内容 原爆投下直後の紙屋町の惨状
作者名(カナ) 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ)
作者名(英語) Yoshio Hamada
当時の年齢 26歳
寄贈者名 藤堂 清
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6(時刻)被爆直後
情景場所 紙屋町
情景場所旧町名 紙屋町
情景場所現町名 紙屋町
爆心地からの距離 300m
ブロック別 紙屋町・本通地区
作者による説明 **絵の中
爆心地
焼ケタトタン
クビ
クビ
ヒョウシキ
電車道
10メートルの所紙屋町電停←宇品方面へ
原爆投下直後の紙屋町
廣島に原爆が投下された直後の紙屋町の惨状です。私はこの紙屋町の程近い場所にありました師団司令部で被爆をし崩れた司令部の底に埋り重傷を負い奇跡的に助かりました。数多くの軍人さんが被爆をされそのほとんどの方々が被爆死されたのです。そして生き残った。私達は原爆症とゆ恐ろしい病気で倒れ床についております。重苦しく生きのびても生きられたことに被爆死された方々に只々申し訳ないのです。私は被爆直後紙屋町附近の悲惨を目撃しました。首の無い者手足の無い者まっ黒になり男女の区別は全くつかない紙屋町のバス亭乗場でおりかさなって死んでいる死体はヂリヂリと燃え青い油のほのをが流れ出ている。私わあまりもの惨さに只ぼうぜんと立ち男泣きに泣いたのです。人の姿は全く見えません私は地獄のまっただ中です。電車通りにはいたる所に死体がころがりその惨さが今にして私の脳うらに焼きついております。私はこの大虐殺をもくろす原水爆は絶対に許しません国民の一人々がこの許されえぬ恐るべき原爆をよく知り原爆被爆を身をもって体験をした私達と友に全世界に向けて叫び続けませう。
被爆者 浜田義雄
爆心地より三百メートルの所
青でしめしております所はご遺体が油が流れ、ぢりぢりと燃えておりました
サイズ(cm) 51×36
展示の説明文

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