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トップページ原爆の絵赤穂師団司令部 陸軍の重要な物は私達が全部焼いた

原爆の絵

識別コード SG-0099
絵の内容 赤穂師団司令部 陸軍の重要な物は私達が全部焼いた
作者名(カナ) 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ)
作者名(英語) Yoshio Hamada
当時の年齢 26歳
寄贈者名 藤堂 清
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
陸軍のざんげ
広島の第二総軍は戦時中のおり無い無いと言い乍らも日本国中で戦争をするだけのぶっしは十分にたくわえていたのである。だから連合軍の上陸部隊ととことんまで戦ったなら沖縄どころか多くの死者が日本国民にも出て連合軍の上陸部隊も多くの戦死者が出るはず。食うか食われるかそれはアメリカが先に原子爆弾で食うた。
原爆投下赤穂部隊
昭和二十年私浜田義雄は広島市基町陸軍幼年学校赤穂師団司令部え赤穂部隊は昭和二十年八月二十二日の日に私達は先発隊として長野県の天瀧川スワコ方面え本土決戦の予定でした
陸軍は戦争をするだけの火薬を市民が造った防空壕の中へかくしたくわえておりました火薬のソカイ
国前寺の所え赤穂師団司令部陸軍の重要な物は私達が全部焼いた
陸軍作戦要
陸軍作戦要
陸軍作戦要
赤穂師団の作戦図関東方面
私達はなんでもかんでも陸軍のものであれば手当りしだいもやしたのです
国前寺の本堂につんであった白米 米ダワラだけは焼かず残しておいた
ダレガヒツケヤクトナッタノカソレワニッポンガセンソウニマケタカラダ
ヒオツケルのはカッテデアルカラツケラレルのだ
師団無線
私達赤穂師団は日本軍の決戦のための新らしい師団無線をその重要な書るいも
陸軍が造った毛の新品モウフモ火をつけて焼いた
この場所が国前寺と言うお寺ですかこのお寺で被爆をされた人達五〇〇以上が苦しみながら死なれたのです
安芸郡船越の山の中えかくしていた黒の火薬を見つけられてアメリカ軍に火をつけられてモヤされた
新品の兵士達がはくカワグツモ山積して焼いた
新品将校用のカワで出来た長グツモ焼いた
広島の陸軍がホラ穴の中えカクシた物で進中軍に見つけられなかった物は何一ツ無い
広島県尾道市原水爆禁止尾道市教職員組合
被爆カラ52年のことし私は被爆者の一人として広島・長崎の出来事を語り尾道の地で訴えなければならないそれが私に残された使命でもあります。被爆当時のもようをざんげし人人に知ってもらいたいのです。そぼくな原爆の絵なれどNHK様が平和である事を願われ全国各地で原爆の絵を展示され紹介されました。
 原爆被爆者 浜田義雄
サイズ(cm) 52.5×38.5
展示の説明文

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