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トップページ原爆の絵国前寺に集まった負傷者たち

原爆の絵

識別コード SG-0069
絵の内容 国前寺に集まった負傷者たち
作者名(カナ) 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ)
作者名(英語) Yoshio Hamada
当時の年齢 26歳
寄贈者名 藤堂 清
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6~8/7
情景場所 尾長町旧陸軍東練兵場二葉山裾 国前寺
情景場所旧町名 尾長町
情景場所現町名 光町
爆心地からの距離 2,300m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
八月六・七日
尾長町陸軍東練兵場二葉山スソ
 国前寺  浜田義雄 五十六才
**別紙
ざんげの記録
(前略)
―いよいよピカドン―
 赤穂兵団発足は昭和二十年八月一日。それから準備に多忙をきわめ、八月六日あの日には、私が当直下仕官としてひとり兵舎に残り、外の兵隊はみんな見習士官殿に引率され建物疎開で倒壊された家の木材の中から、板その他の梱包するのにかっこうな材木を集収にまちに出ていました。私はみんなが出て行った後、ひとり部屋に残って、硝子窓ぎわの机について事務をとったり、”命より大切にせよ”と渡された暗号書(冊子)を開いて、暗号文の研究をしたりしていました。
 この頃、敵機B29は、毎日数回広島上空に飛来し爆弾を落していく。敵機来襲のたびにサイレンがなり舎前舎後の営庭につくった防空壕の中に避難していましたが、あまりたびたびなので免疫になったためか、時どき防空壕にはいらなくなっていました。
 八月六日午前八時十五分(この時刻は後になってわかりました)またB29来襲のサイレン。私はまたかと思って防空壕に避難しませんでした。そのまま前記の長机のところで事務をとっていると、頭に何かカンとあたる。戦友がこっそり帰って来て、整頓棚にある水筒を、書きものに熱中している私の頭の上に落したのかな?「何をするんだ」と言おうと思った一瞬、私のいる部屋はまっ暗。倒壊した兵舎の中にいる私。“はっ”と気がつく。これは大変だ、私のいる兵舎の近くに爆弾を落したな・・・・ぐずぐずしていたら火災になって焼け死んでしまうと思ってあわてました。そして落ちた天井や、二階の床板を満身の力をこめておしあげようとしましたが動きません。そして「オーイ助けてくれここにいるんだ」と、くずれ落ちた床板をしばらく叩きましたが、応答はありません。そのうちに私の気持は落着いてきました。たたくのをやめました。はい出して助かりたい。“私はきっと助かる。私は悪いことをしていないぞ”と、ひとりよがりにふっと考えてもみました。
 私のいた位置は、机の横・・・木箱詰めの梱包が天井につかえそうになるまで
サイズ(cm) 51×36.5
展示の説明文

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