識別コード | SG-0054-36 |
---|---|
絵の内容 | 紙芝居「原爆の落ちたヒロシマ」 |
作者名(カナ) | 升川 貴志栄(マスカワ キシエ) |
作者名(英語) | MASUKAWA Kishie |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | 秋政 峯子 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **裏 太郎はもう此の世にいないと思ふと目まいがするほど頭が痛み気が狂いさうです。二三年といふもの私から笑顔がすっかり消えて仕舞いました。夜は眠られず十一時頃になると大きな石が胸を押へる様で苦しく起き出して縁側に坐り太郎太郎と四時まで泣くのです。○中の生徒は「校歌と海行かば」を歌って火に包まれた、と誰か言いましたが、死ぬ時は唯苦しかったろう、水も呑みたかったろう、お母さんお母さんと呼んだろう、といろいろ考へては胸が張裂ける思いです。「坊ちゃんは確に他の子と違って偉かった誰にでもにこやかに挨拶する姿が目に浮ぶ」と悔みを受ける度に、たまらない悲しさになります。小学校でお世話になった先生方からも努力家の君の将来を展望せし君なりしをと切々の手紙を供へて下さいました。此の悲惨事で学徒は六千人以上も亡くなったのですから生き残ったお母さんは我が子のいとしさに泣き悲しんでおられるだろうと思って諦め様と、思ひますが何うしても駄目です。母である私は死ぬまで忘れる事が出来ないと思います。三ヶ町内が殆ど全滅したといふ今の平和公園内にある資料館に私の(モンペ)があるので行っては当時を思ったり引取り人のない遺骨が一ぱい入れて居る安置所の後に立つ供養塔のところへ行っては気のすむまで泣きます。 |
サイズ(cm) | 40×65 |
展示の説明文 |