識別コード | SG-0054-35 |
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絵の内容 | 紙芝居「原爆の落ちたヒロシマ」 |
作者名(カナ) | 升川 貴志栄(マスカワ キシエ) |
作者名(英語) | MASUKAWA Kishie |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | 秋政 峯子 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | **裏 我家に帰った時「お母さんもう終戦になったよ」とお父さんの言葉に驚いた私は「なぜ、そして何時」と尋ねると八月十五日正午玉音放送があった、お母さんは其時危篤状態だったのでとの事。疲れたと太郎を探しに行くのを休んだ訳も知りました。 九月六日太郎君の学校から慰霊祭を行なうから行方不明者も集る様にとの通知「太郎は広島にはいない、今日から鳥取、島根を探すからお母さんを学校迄つれて行く」といわれ、松葉杖にすがって行きました。 慰霊祭が終って皆んな泣きんがら帰る時「お母さーん」と太郎の呼ぶ声が確かに聞えました。「あの辺は特によく探した場所だから気の精だよ」とお父さんの言葉も耳に入れず、どんどん其声のした方へ行きました。其処に最後まで、しっかり握っていた肉の焼きついた(バンド)の金が土の中から出て来ました。お父さんは驚いて「それでは此の所に、ただ一人死んで居たが、あれが太郎だった」と二人が声を出して泣いたのです。早速太郎君の死亡が確められた事を学校へ報告したところ「貴君が毎日毎日焼跡を探されたのに、初めて来られたお母さんが探したとは・・・・と驚かれたさうです。 生きて居て呉れる事のみ一筋に願い続けた両親の心にともる灯火が(ぱーつ)と一度に消えた今帰る勇気もない程悲しみに打たれました。 |
サイズ(cm) | 40×65 |
展示の説明文 |