識別コード | SG-0054-34 |
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絵の内容 | 紙芝居「原爆の落ちたヒロシマ」 |
作者名(カナ) | 升川 貴志栄(マスカワ キシエ) |
作者名(英語) | MASUKAWA Kishie |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | 秋政 峯子 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **裏 暇を見ては松葉杖にすがって町内の病人を見舞ったり町内配給の仕事をするのを知ったお父さんは「このままだとお母さんが死ぬ」と八月十日の夕方無理に乳母車に乗せられてお父さんの姉の家に一家族行きました。ところが気の緩みか身動きも出来ない病人となり高熱が毎日毎日続きました。或る夜中に「お母さん僕こんなになった残念です」とはっきり太郎が言ふので「あら坊や」と見ると右足が眞赤な血だらけ、それに右頬も血が一ぱい出て居るので私は驚いて「坊やはほんとうに死んだの」と抱うとしたら夢だったので朝まで泣きました。この村も死ぬ人が多いとみえて、高い家の座敷にねて居ても、三ヶ所の火葬場の煙はたへず「痛いやう痛いやう」と病人の苦しむ声も聞こへます。「お父さんなぜ今日太郎を探しに行かないのです」と尋ねると「あまり疲れたので今日は休む」と申します。それに二人の姉は私のそばを離れず声をしのんで泣いて居るのです。「坊やが死んだのなら私も死んだ方がいい」と思ってだまっていました。 薬もいろいろ飲ませて呉れますが、熱は少しも下がらず自分でも死ぬだろうと思って居りましたが八月三十一日やっと立つ事が出来、幸い家は焼けなかったので九月の四日松葉杖にすがって我が家へ帰りました。在郷軍人の役員の方々が手伝って下さったので雨風だけはしのげる様になっていました。 |
サイズ(cm) | 40×65 |
展示の説明文 |