識別コード | SG-0054-33 |
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絵の内容 | 紙芝居「原爆の落ちたヒロシマ」 |
作者名(カナ) | 升川 貴志栄(マスカワ キシエ) |
作者名(英語) | MASUKAWA Kishie |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | 秋政 峯子 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | **裏 怪我人が道路一面にたほれて居る中をお父さんが大声で「太郎はいないか」探し歩きました八月の太陽が容赦なく此の病人を照りつけ、大方の者は死んで時折手や足をびくびくさせる者や、小さな声で水、水といって居る又焼跡に一人の母親が赤坊を抱いて坐ったまま死んだのや実に悲惨といふより地獄もこれほど、ひどくなかろうと思ふ。太郎の学校南側では朝の警戒警報で町内全員がこの土塀に並んで(おむすび)食べて居た時土塀が押し倒れ全部が死亡、中をのぞくと、子供が(おむすび)を口に持ってゆこうとしたまま死んで涙が出た。(ホース)で石油をかけて焼いていたといふ事又何時もの様に太郎たちの構内も隈なく探し何かあの子の持物でも出ないかと太郎太郎と土を掘っていると、気分が悪くなって暫く何にもわからないのだ。 市中は至る所探してもいないので今日は舟に乗って島へ行ったが、あの島にもいなかったので明日は又他の島々を探すとお父さんが言いました。「どんな不具になっていてもいい、兎に角生きていてほしい」と両親が神や佛に祈るのです。 |
サイズ(cm) | 40×65 |
展示の説明文 |