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トップページ原爆の絵紙芝居「原爆の落ちたヒロシマ」

原爆の絵

識別コード SG-0054-32
絵の内容 紙芝居「原爆の落ちたヒロシマ」
作者名(カナ) 升川 貴志栄(マスカワ キシエ)
作者名(英語) MASUKAWA Kishie
当時の年齢
寄贈者名 秋政 峯子
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **裏
この広場は軍隊の第一収容所で二百人位毛布を巻いて寝ていました。重湯を呑ませたいが、お米がないので困っていると言はれるので、備蓄米といって戦争がいよいよ激烈になって配給出来なく山へ逃げた時、食べる米だと、一人に一升の特配が六人分の六升、押入れに仕舞っている事を思い出し福田曹長にばけつ、釜、等も取りに行かせ、兵隊の残りを学徒や他の人へも食べさせました。見る見る此所も避難の人で一ぱいに成りました。山のあちこちから苦しむ声も聞こえ、市中は火の海で夜になっても、盛んに燃え続き時々弾薬が爆発する、どーんと大きな音がします。空では勝ち誇った敵機が低空で通り過ぎる度に敵機が敵機がとさわぐのです。
斯うして夜もだんだんふけ冷気のために幾人も死にました。同じ町内の人で主人、長女、次女、長男と四人亡くなって一人生き残った大怪我の世良さんが桜の枝の間から家族がかわるがわる私を見て居るので私も死にたいと泣きます。
翌日長女が友人の家へ避難していたと帰って来ましたので太郎もきっと生きていると力を得てお父さんは探しに出かけました。
七日に警防団員が死体集めに来ましたので、五人を渡し、文理大生の足立君は大学から探しに来られた人達へわたしました。
東練兵場には何ヶ所も死体の山を作り石油をかけて焼く悪臭は此の山までにをって来ます。
サイズ(cm) 40×65
展示の説明文

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