識別コード | SG-0054-31 |
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絵の内容 | 紙芝居「原爆の落ちたヒロシマ」 |
作者名(カナ) | 升川 貴志栄(マスカワ キシエ) |
作者名(英語) | MASUKAWA Kishie |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | 秋政 峯子 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | **裏 山崎軍医は「貴女は無理すると右足を切断するやうになる」と注意して呉れますが私は太郎の事で一ぱいで、足の一本位片足になってもよいと思いました。爆弾の中に金蝿の卵を入れて居たと思ふ位、今迄見た事もない大きな金蝿が幾万も群集して大傷をおそいうじ虫を産みつけるので痛い痛いと泣き出し空罐詰を探して取るが、すぐ一ぱいになります。山に逃げた怪我人は、そこで死んだので(とび)や(からす)が集って肉を食べました。でも放射能を食べると同じなので金蝿もとびやからすも後には全部死にました。 お父さんは暗くなると疲れた足とがっかりした顔で帰って来ます。吉報を待つ私は、この様子を見て力を落すので○○女学校全員が川へ飛び込んで死んだ。○○中学校では訓示中だったので其儘倒れて死んだそうな又一番ひどいのは○○女学生で爆風をまともに受けた為口が耳まで裂けたといふ事だと話して呉れますが、私は耳をふさいで(アメリカ)の馬鹿と叫びたい気持ちになり、太郎ももう生きていないだろうと泣けて泣けてしかたがないのですが、元気を出して二十三人の中ここで八人死なれ、連絡して岩国や竹原へ連れ帰って頂きましたが、其れも後には皆亡くなり二人だけ生き残って居ります。 |
サイズ(cm) | 40×65 |
展示の説明文 |