識別コード | SG-0054-30 |
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絵の内容 | 紙芝居「原爆の落ちたヒロシマ」 |
作者名(カナ) | 升川 貴志栄(マスカワ キシエ) |
作者名(英語) | MASUKAWA Kishie |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | 秋政 峯子 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **裏 お父さんが「お母さんが怪我人を見ると動かなくなるので、なるべく目をつむって歩け」と申しますが、市中から逃げて来た人がもう歩けなくて、道ばたにたくさん倒れ、痛いよう、水下さい、助けて下さい、と道行く人へ訴へて居る「ああお気の毒に」「可哀想に」と言い乍ら松葉杖にすがって行くうちもうすぐ山の畑に近い所に学徒が七人土の上に集って「誰か助けて下さい」と泣いているのです。皮膚がはがれた時其所は白く血が出ないので、是れはきっと毒物だと思ったのですが五六時間たつと黒く腫れ人の見分けがつきません。この七人の中に私の娘によく似たのがいたので尋ねますと違いましたが同級生が一人いました。「太郎君も何処かで人様のお世話になって居るかも知れん」と考へると此七人を見すごす事は出来ず幸い田舎から我が子を探しに行く知人に頼んで一人一人山の広場に運んでもらいました。ところが其所にも学徒が幾人もいて、とうとう大人七人と学徒十六人の二十三人を看護しました。でも夕方二人七日には四人「英米げきめっ」とうわごとの様に言って最後には「お母さん」と私に抱かれて亡くなりました。 太郎君が帰って来ないので私を山につれて来たお父さんはすぐ探しに出かけたのです。暗くなって太郎君たちの学校もみな焼けたが、まだ火で熱く這入れないと帰って来ました。 |
サイズ(cm) | 40×65 |
展示の説明文 |