識別コード | SG-0054-03 |
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絵の内容 | 紙芝居「原爆の落ちたヒロシマ」 |
作者名(カナ) | 升川 貴志栄(マスカワ キシエ) |
作者名(英語) | MASUKAWA Kishie |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | 秋政 峯子 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | **絵の中 賞状 **裏 生れた時の体重は九百六十標準よりは大きい。お乳は捨てるほど多量で生後七日目には身長も一七.七分二十八日目から母を見て「にこー」と笑ふ。三十三日に宮参り、体重一貫五百身長一尺九寸五分と、書き入れた記念写真をとりました。生後四十日目他人にも「あんごあんご」と笑ふ様になり大小便も、ささげてする習慣をつけました。 七十五日目自分の手を、おいしそうにしゃぶり八十日目頃は声出して笑っては「うんうんうーん」と節つけて外に出やうともせず日に日に元気が加るばかり中国新聞社の写真展にも見事入賞。生後百四十日目今まで二十分位より坐れなかったが決して倒れない位で玩具をこわしたり、紙を破ったりのおいたする人様から「ほんとうに男らしい坊ちゃんだ」と言はれて悪い気のせんのが親の情、真実の生き甲斐を感じるのでした。 百九十日目の頃、初めて立ち七ヶ月頃は此方の言ふ事は、よくわかる姉さんは■秋の選奨会に五回連続入賞しましたが、太郎君は三ヶ月未満のため■のは出場出来ず秋ので見事優良児として入賞家族一同大喜びでした。 生後二百四十日目初めて笛を吹き自分でも嬉しいと見えて吹いては手をたたいて大笑いです。生後十一ヶ月でやっと五六歩あるける様になり誕生には一升餅だけでは、平気で歩くので婆やさんが座布団を加へるが其れでも平気でどんどん行くので写真屋さんを困らせました。 生後一年七ヶ月で身体の名称は全部言へるし簡単な唱歌は一度教えると必ず覚えます。 |
サイズ(cm) | 40×65 |
展示の説明文 |