トップページ原爆の絵1946年5月15日私が広島駅から広島市内を見た光景
識別コード | SG-0052 |
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絵の内容 | 1946年5月15日私が広島駅から広島市内を見た光景 |
作者名(カナ) | 金 柄台(キム ビュンテ) |
作者名(英語) | Kim Byeon Tea |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1946/5 |
情景場所 | 広島 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **別紙 拝啓 二次世界大戦直前に広島は原子爆彈の攻撃に依り大きな被害を受け市街は完全に破壊され戦爭にはなんの関係の無い多くの市民が死亡したり、負傷し、又原子病にかかり苦しみながら死亡し又その被害者の子孫までも同し病状で苦しんでおられます。亊情を世界の國々の人々にお伝へし二度と核兵器を利用無故人々と人類の滅亡を招く悲惨な戦爭行為を起さない様人類平和を呼ひかけなされて居ります諸位に深く感謝いたします。又広島で原子爆弾の被爆で亡くなられた方方の冥福を祈りいたします。 私は今から57年前被害を受けた當時の広島の悲惨な光景をこの目で見て人々にお伝へしたくこのお手紙と画を書きお送りします。 この画は広島が1945年8月8日原子爆弾の攻撃を受けた後9個月過きた1946年5月15日私が広島駅から広島市内を見た光景で市内の全ての建物は破壊され燒け落し灰と破壊された建物のセメントブロックだけがあっちこっちに散在し、市の中央にあったカトリック教会の建物の燒け曲り落ちた鉄筋の殘骸だけが唯一つの建物の残骸物でありました。市外の山々の前側の全ての樹木は燒き去れ赤い土肌が露出し山々の頂上にある松の林は赤く燒き焦げ見るに悲惨な光景でした。そこには住み歩廻る人も見へず近づく人や鳥も無く市街は燒き去り完全に破壊され廃墟に変り悲しみに沈黙した市街に五月の温い空気とまぶしい太陽の光だけが市街一杯に包み照すだけでした。 終に広島の繁栄と御市民一同様の幸運を心からお祈りいたします。 金 柄台 謹上 |
サイズ(cm) | 25×35 |
展示の説明文 |