トップページ原爆の絵脱線・転覆した列車、水を求めて川辺に集まった人々、橋の上で助けを求める軍人
識別コード | NG473-02 |
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絵の内容 | 脱線・転覆した列車、水を求めて川辺に集まった人々、橋の上で助けを求める軍人 |
作者名(カナ) | 山形 明(ヤマガタ アキラ) |
作者名(英語) | Akira Yamagata |
当時の年齢 | 28歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/7(時刻)11:00頃 |
情景場所 | 常葉橋付近 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 1,550m |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
作者による説明 | **絵の中 広島原爆の惨状 太田川常磐橋付近 昭和20年8月7日午前11時頃 **別紙(絵に貼付) 昭和20年8月7日午前 見取図 広島駅より私(陸軍伍長)と上官二人太田川(常磐橋)付近にて 太田川 水をもとめて川辺の砂地・川の中に集まった無数の人々(死者・半死半生者) 河原 松林 下り貨物列車が鉄橋の中程で脱線・転覆・焼失していた 山陽本線上り 山陽本線下り 広島駅 常磐橋 常磐橋の上で見習士官服装の軍人が「兵隊さん助けてくれー」と虫の息で声を出し、助けを求めてきた 爆風で橋の上にたおれたり川の中に落ちたコンクリートの欄干 **別紙 ① 昭和14年4月から、7月まで国鉄広島鉄道教習所で勉強のため広島市に住みました。又、岡山広島間の車掌をしていましたので、広島には度々やって来て、馴染みが深かったです。 ② 昭和20年1月、陸軍鉄道大隊を編成して千葉県から広島にやって来て、崇徳中学校を部隊本部として、軍務に従事しました。 ③ 同年8月1日、陸軍鉄道作業隊を編成して岡山に移動しました。 ④ 同年8月6日広島空襲により、鉄道復旧のため広島に出動命令が下り、7日朝広島駅に到着しました。 ⑤ 元の部隊の訪問、爆心地の視察等、諸業務に従事し10日まで、広島に居住しました。 ⑥ 8月7日朝の状況を説明しますと、前日我々鉄道作業隊と衛生隊との臨時列車を編成して、岡山を夕方5時頃出発しましたが、八本松駅で長時間停車して、朝5時頃やっと広島操車場(広島駅の東隣り)に到着し、広島駅ホームまで、歩いて行ったところ、駅長が片腕を包帯で、首から吊りホームを歩いていました。我々の隊長が駅長に挨拶して、我々は鉄道作業隊で鉄道復旧のため岡山からきた旨を告げ、感謝された。死の町広島に応援に駆けつけたのは、我々が最初ではなかったかと想像されます。 |
サイズ(cm) | 29.2×40.2 |
展示の説明文 |