トップページ原爆の絵黒焦げの遺体を運び火葬する。焼け残りの材木と遺体を交互に積み重ね火葬する作業が毎日続いた。
識別コード | NG470-02 |
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絵の内容 | 黒焦げの遺体を運び火葬する。焼け残りの材木と遺体を交互に積み重ね火葬する作業が毎日続いた。 |
作者名(カナ) | 篠山 益治(ササヤマ エキジ) |
作者名(英語) | Ekiji Sasayama |
当時の年齢 | 26歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/7 |
情景場所 | 西練兵場 |
情景場所旧町名 | 基町 |
情景場所現町名 | 基町 |
爆心地からの距離 | 360m |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
作者による説明 | **絵の中 連想 **別紙 太田川を渡り堤防沿いにやって来た所は所属中隊の操練場でありました。正に地獄絵そのものでありました。時間的に原爆が炸裂した時は点呼の最中であったと思われます。 ほとんどの兵士達は黒焦げの遺体になっている者、立ち上がる事が出来ないでもがき苦しんでいる者、水をねだる者。あの時あの場所で元気な声で軍歌を唄っていた声が今でも記憶にあります。 灼熱の炎天下で丸焦げ遺体や半焼けの悪臭がただよう操練場での作業は専ら遺体運びと火葬でありました。焼け残りの材木と遺体を交互に積み重ねて火をつけて火葬の作業が毎日続きました。 |
サイズ(cm) | 45×53.9 |
展示の説明文 | 黒焦げの遺体を運び火葬する 絵・文/篠山益治氏 1945(昭和20)年8月7日 爆心地から約400m 基町 「黒焦げの遺体になっている者、立ち上がることができずもがき苦しんでいる者、あの時あの場所で元気な声で軍歌を歌っていた声が今でも記憶にあります。灼熱の炎天下で丸焦げや半焦げの悪臭がただよう操練場での作業はもっぱら遺体運びと火葬でありました。焼け残りの材木と遺体を交互に積み重ねて火をつけて火葬の作業が毎日続きました。」 手記「あの時のヒロシマ」より抜粋 |