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トップページ原爆の絵母親に背負われた女の子、体全体が水ぶくれになり、目も開かず口もきけず、人間とは思えない姿だった。

原爆の絵

識別コード NG465
絵の内容 母親に背負われた女の子、体全体が水ぶくれになり、目も開かず口もきけず、人間とは思えない姿だった。
作者名(カナ) 檜山 良子(ヒヤマ ヨシコ)
作者名(英語) Yoshiko Hiyama
当時の年齢 16歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 松原町
情景場所旧町名 松原町
情景場所現町名 松原町
爆心地からの距離 1,900m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
広島駅にあった印刷所で被爆した。
逃げる途中幼なじみの子に出会った。背負われた子供の顔は、やけどではれ上がり、名前を呼んでも返事はなかった。記憶に鮮明に残るその光景を描いた。
子供は、その日のうちに亡くなったと後で聞いた。私の母と姉はそれから3年のうちに相次いで亡くなった。「何か一つぐらいは残さなければ」と思い立ち描き上げた。
原爆資料館でほかの人が描いた絵をみた。知らない光景がたくさんあった。
「みんなこんなに大変だったのか」と思った。
体験者の絵には、やはり伝えるものがあると強く感じた。
Y.H
**裏
檜山良子
**別紙
昭和20年8月6日午前8時15分、灼熱の太陽の光は大型爆弾となりガラス窓を破り目の前一杯に現れた。当時私は16才学徒動員で広島駅印刷場にいた。驚きの瞬間、機械の間にしゃがみ込み何もわからなくなった。「お母ちゃん助けてー」と一緒にいた13才の高等科の生徒は泣きながら、私の服を引っ張った。私は手の平に生ぬるいものを感じ何だろうかと思うが真っ暗で何も見えない。その手はユニホームの胸当たりでぬぐっていたらしい。後で鼻血であったことに気がついた。やっと小さな明かりをみつけ外に出る。辺りには建物はなく、人影も1人しか見当たらない。声は聞こえるが姿は見えない。土壁の煙の中で足元も見えず茫然として地獄絵図をのぞいた様だった。「敵機襲来伏せよ」と耳に入る。少しして恐る恐る目を開けると空高くB29が小さくキラリと光ってみえた。
東練兵場を斜めに歩き尾長町に出た。道路は避難者で一杯だ。ヤケドをした人、ケガ人は血を流し、ホコリをかぶり、人すべてが灰色だった。
この絵の前列の女の子は京橋の上で被爆し体全体が水ぶくれとなり、目も開かず口もきけない人間とは思えない姿で母親におんぶされている。中山から下深川に避難する途中で落後してその日に亡くなられたと言う。
「ノーモア広島 あやまちは二度と繰り返しません」と広島県民は平和を願ってやみません。
檜山良子
サイズ(cm) 37.8×53.9
展示の説明文

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