トップページ原爆の絵背中のやけどにウジがわき、はしで空き缶に取ってもらっている人
識別コード | NG463 |
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絵の内容 | 背中のやけどにウジがわき、はしで空き缶に取ってもらっている人 |
作者名(カナ) | 山村 道子(ヤマムラ ミチコ) |
作者名(英語) | Michiko Yamamura |
当時の年齢 | 16歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/16 |
情景場所 | 安佐郡鈴張村の寺の収容所 |
情景場所旧町名 | 安佐郡鈴張村 |
情景場所現町名 | 安佐北区安佐町鈴張 |
爆心地からの距離 | 23,000m |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 あきかん はし **別紙 私は昭和20年8月6日は、安田高等女学校に在学中、学徒動員で横川町の興亜ミシン針工場に勤務していました。被爆後、収容先を捜しまわり、たずね歩いて10日目に、母は安佐郡鈴張村のあるお寺に粗末なゴザの上にねかされていました。頭・顔・両手足の大火傷でした。手当てはチンク油をぬるだけでした。近くに背中全体にやけどを負い、皮がズルリとむけ、傷口にわいた蛆を割箸で、あきかんに取ってもらい、うちわで風を送り、ハエを追ったりしてもらっていました。その時の様子を思い出し書きました。私は16才でした。母は45才位です。(松村) 山村道子 |
サイズ(cm) | 27×37.9 |
展示の説明文 | 背中の火傷の傷にウジがわき、はしで空き缶に取ってもらっている人 絵/山村道子氏 1945(昭和20)年8月16日 爆心地から約23km 安佐郡鈴張村(現在の安佐北区安佐町鈴張) |