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トップページ原爆の絵B29から広島市街に原爆を落とす様子、負傷者の収容されたビル、上半身裸で皮膚のたれさがった人。

原爆の絵

識別コード NG457-05
絵の内容 B29から広島市街に原爆を落とす様子、負傷者の収容されたビル、上半身裸で皮膚のたれさがった人。
作者名(カナ) 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ)
作者名(英語) Keiichi Saito
当時の年齢 26歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
E
原子爆弾は右図の様に、他の爆弾と異なり地上三〇〇m上空で爆発したので、下に向かって扇形に爆風に熱閃光が広がり、其の被害は広範囲に渡った訳でした。
米国は原子爆弾投下の三ヶ月位前に、空が暗くなる程、当時の大統領トルーマンの写眞入りの、パンフレットを撒いたのです。其の内容は、「米国空軍は日本の軍隊と軍事施設を、破壊する事を目的として、空爆をするので、非戦闘員の皆さんは、速やかに広島より撤退をされたし」と書いて在ったので、何か大きい事をするだろうと予想はしていましたが、此の様な爆弾が落とされるとは思いませんでした。此の予告の為、広島を後に、田舎の方へ疎開した人も相当居られた事でしょうが、殆どの人は残って居られたでしょう。
原子爆弾投下後は、「此の広島の地には、今後草木も生えず、人類の棲息は出来ないであろう。」言われた程でした。
世界で此の恐ろしい原子爆弾を体験したのは、日本人だけですが、にもかかわらず、日本も他国と同様原子力発電を、全国的に設置されつつ在りますが私は恐ろしい事と思います。万一大地震が起こったり、大事故でも有った時には、再び夥しい被爆者が出るのではないだろうかと思われます。
島根県の三隅には、一万キロの火力大発電所が出来て居ますが、あの様な発電所なり、水力発電所等を造れば、設置費は多少多く掛かっても安全では無いだろうかと考えられます。
原子爆弾が投下された時は、正に是こそ生地獄でした。二度と此の様な事の無き様祈らずには居られません。
原爆が落ちて
昇りし茸雲
尊き命
露と消へぬる
B29
パラシュート
原子爆弾
爆破位置
原子爆弾
三〇〇m
広島市街
**裏
斉藤敬一
**別紙
私は原爆投下の時は宇品にて暁六一四○部隊(船舶隊)の船舶本廠の警備中隊の一員で、宇品より二、○○○m沖の金輪島(本廠の本部、並びに船舶の修理・技装)の衛兵司令として勤務中、勤務を交替下番して、翌日より毎日被爆者の収容、日夜看護に当りました。
氏名 斉藤敬一
サイズ(cm) 27×38.2
展示の説明文

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