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トップページ原爆の絵おかっぱ髪のセーラー服の少女にお水を下さいとせがまれたが持ち合わせがなく立ち去った。

原爆の絵

識別コード NG440-03
絵の内容 おかっぱ髪のセーラー服の少女にお水を下さいとせがまれたが持ち合わせがなく立ち去った。
作者名(カナ) 志田 敏衛(シダ トシエ)
作者名(英語) Toshie Shida
当時の年齢 20歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6~8/20頃
情景場所 八丁堀付近(と思われる)
情景場所旧町名 八丁堀
情景場所現町名 八丁堀
爆心地からの距離 800m
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **絵の中
広い交差点を左折した処に十二、十三才のオカッパのセーラ服姿の少女がいた。兵隊さんお水を下さいとしきりにせがまれたが、水のもち合せなくその場を立ち去った。顔は眞白できれいな顔立ち恐らく顔の皮が焼けてめくれてしまったのでしょう。あの焼けあとにどうして一人けいたのでしょう。不思議でした。
今でも当時の光景を思い浮かべあの時どうして車にのせて野営地まで連れ帰り、水を充分のませ手当をしてやらなかったかと生存していれば七〇才位になると思います。もし生存していれば富士山の湧き水をたっぷりのませてあげたい、そして心からお詫び申上げたい。
ぜひ生きていられる様祈っています。
少し離れた方向に鉄骨のみ。
の焼けただれたドーム型とコンクリートのこわれかかっていたのが大きく見えました。
**裏
靜岡 志田
**別紙
先日NHKテレビで広島原爆投下の様子を絵によって募集の件
私は原爆投下の日、広島市宇品港の沖合にある幸ノ浦と云う処にいました。陸軍船舶兵であり船舶特攻兵の整備中隊に所属しておりました。朝八時、点呼のため兵舎前に整列したその時、物すごい熱量を感じ思わず顔をそむけ同時にすさまじい爆風が襲いかかり、皆物かげにかくれた。市内の上空をみると大きなキノコ雲とそれに附随する様な小型のキノコ雲が三個位立ち上っていた。午後二時には市内に入り救援活動に入りました。野営地は浅野泉邸の屋敷の中でここで二週間ばかりテントを張りました。任務は路上死体を収容することです。早速、大八車で同僚と共に中心部を毎日収容して歩きましたが、どの位の人数を収容したのかは全く覚えておりません。
又どの位の人数を焼却したのかもわかりません。ただわかったのは中心部に建物らしい建物がなかったと云う事です。恐らく一瞬のうちに焼失したのでしょう。そしていえるのは、空一面におおう煙と炎だけでした。以下絵にそって説明を致します。
志田敏衛
平成十四年八月二十三日
サイズ(cm) 25.9×36.1
展示の説明文 広い交差点を左折りした所に十二、十三歳のオカッパのセーラー服姿の少女がいた。「兵隊さんお水を下さい」としきりにせがまれたが、水のもち合わせなくその場を立ち去った。あの時どうして車にのせて野営地まで連れ帰り水を充分のませ手当てをしてやらなかったのか。もし生存していれば富士山の湧き水をたっぷりのませてあげたい、そして心からお詫び申し上げたい。ぜひ生きていられる様祈っています。

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