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トップページ原爆の絵負傷者を乗せたトラックが宇品方面に向かっていた。死者を大八車に乗せ縮景園に運び火葬した。

原爆の絵

識別コード NG440-02
絵の内容 負傷者を乗せたトラックが宇品方面に向かっていた。死者を大八車に乗せ縮景園に運び火葬した。
作者名(カナ) 志田 敏衛(シダ トシエ)
作者名(英語) Toshie Shida
当時の年齢 20歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6~8/20頃
情景場所 縮景園付近
情景場所旧町名 上流川町
情景場所現町名 幟町
爆心地からの距離 1,300m
ブロック別 銀山・幟地区
作者による説明 **絵の中
中心部よりトラックは宇品港の方向に
顔は眞黒で男女の区別はつかない
一台二台とつらなって走っている
髪の毛は全部が一cm二cmでちぢれて焼け焦げていた
私達は大八車で道路上に横たわる死者を台車にのせる
浅野泉邸にもどり死者を焼却場に入れる。焼却場は手堀りである
この泉邸で十日-十四日毎日行われた。数年前泉邸宅より遺骨が出たとの報道があり、この遺骨は私達の部隊が焼却したものと思われます。
**裏
志田
**別紙
先日NHKテレビで広島原爆投下の様子を絵によって募集の件
私は原爆投下の日広島市宇品港の沖合にある幸ノ浦と云う処にいました。陸軍船舶兵であり船舶特攻兵の整備中隊に所属しておりました。朝八時点呼のため兵舎前に整列したその時物すごい熱量を感じ思わず顔をそむけ同時にすさまじい爆風が襲いかかり皆物かげにかくれた。市内の上空をみると大きなキノコ雲とそれに附随する様な小型のキノコ雲が三個位立ち上っていた。午後二時には市内に入り救援活動に入りました。野営地は浅野泉邸の屋敷の中でここで二週間ばかりテントを張りました。
任務は路上死体を収容することです。早速大八車で同僚と共に中心部を毎日収容して歩きましたがどの位の人数を収容したのかは全く覚えておりません
又どの位の人数を焼却したのかもわかりません
ただわかったのは中心部に建物らしい建物がなかったと云う事です恐らく一瞬のうちに焼失したのでしょう。そしていえるのは空一面におおう煙と炎だけでした。
以下絵にそって説明を致します。
志田敏衛
平成十四年八月二十三日
サイズ(cm) 25.8×36.1
展示の説明文

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