トップページ原爆の絵駅前は全く人気はなく街は瓦礫と化し市街をかこむ山々は茶褐色だった。
識別コード | NG439-01 |
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絵の内容 | 駅前は全く人気はなく街は瓦礫と化し市街をかこむ山々は茶褐色だった。 |
作者名(カナ) | 中川 清(ナカガワ キヨシ) |
作者名(英語) | Kiyoshi Nakagawa |
当時の年齢 | 18歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/26 |
情景場所 | 広島駅 |
情景場所旧町名 | 松原町 |
情景場所現町名 | 松原町 |
爆心地からの距離 | 1,900m |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 Kiyoshi N 廣島(ヒロシマ) **裏 中川 清(七拾五才画) 平成十四年八月十八日 **別紙 ① 記 七月末B.S.にて廣島の原爆の画の募集を知り、早速戦後五十七年の今日 セピア色の記憶を探り10号の油彩二部にて御送り申し上げましたので御笑納下さい。 私儀海軍甲種予科練習生として髙知浦戸航空隊にて終戦を迎えました。八月二十六日頃より復員が始まり髙知駅より復員列車で父母の居る朝鮮の京城へ渡る為、九州へ向かいました。 其の途中、列車の中で次は廣島だとの声があり、間もなくトンネルを過ぎると廣島へ入った。廣島駅の髙架のホームから見ると駅前は全く人気はなく、市内は瓦礫と化し、駅舎は外側だけ残り、ホームの屋舎のレールは飴の様に曲り又たれ下り、市街をかこむ山々は原爆の熱線で緑したたる山とは様相は一変し、全山褐色に焼けただれて一本の緑の木もありません。又異様に物音一つしません。 当時十八才の少年の私は始めて見る悲惨な事態でした。列車は満員の為、下車も出来ず、其のせいか放射能もあまりあびなかったのか、今日ある事を幸と思って居ります。 画題は「静寂」としました。 中川 清 拝 |
サイズ(cm) | 45.7×53 |
展示の説明文 |